ネストレ-アーラント版/UBS版聖書本文の検証
マルコ1・2、3

オリゲネスのグノーシス的信念への改ざん事例

フロイド・ノレン・ジョーンズ博士

新約聖書本文TRの訳例
「(2節)預言者たちの書に、『見よ、私はあなたの顔の前に私の使いを遣わす。
  彼はあなたの前であなたの道を整える。

 (3節)荒野で叫ぶ者の声。主の道を備えよ。彼の路を真っ直ぐにせよ』と書かれている通りに…TR 新約聖書

「(2節)豫言者等のうちに、見よ、われ汝の顔に先んじて我が使を使はさん、彼は汝の道を汝の前に備ふべし。
 (3節)荒野に於ける叫びの声あり、主の道を備へよ、その途筋を直く為せ、と録されたる如く」新契約聖書

「As it is written in the prophets, Behold , I send my messenger…」KJ

ネストレ版/UBS版聖書の訳例
預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように」
預言者」が単数形

「As it is written in Isaiah the prophet : "BEHOLD, …」(NAS・NIV)
預言者」が単数形
コメント
 この3節はイザヤ40・3からの引用です。
 ところが、2節はイザヤ書には見出されません。
 それはマラキ書3・1からの引用です。
 「見よ、私は私の使者を遣わす。彼は私の前に道を整える」(マラキ3・1 正統派聖書)
 このように、KJ等は、「預言者たち」(イザヤとマラキ)と複数形で正しく記しているのです。
 このちがいが、なぜ非常に重要なのでしょうか?
 なぜなら、ヘブル語の正確な元々の引用語句をマラキが記しているからです。
 マラキ3・1の終わりの箇所を6節と読み比べれば、マラキ3・1の「私」がイェホバ(ヘブル語の四つの文字YHWHの訳語)のことであるとわかります。
 新約聖書が旧約聖書を引用する際、語っておられるのはイェホバです。
 したがって、マラキは、旧約聖書の神なるイェホバご自身が肉において来られると告げているのです!
 存在する神はおひとりだけであり、彼の第一の御名は「イェホバ」です。
 彼はご自身を三つの位格で現され、そのうちの一つの位格において、人間の罪のために死なれるため、肉において現れてくださったのです。
 マルコ1・1〜3はイエス様のことを述べているゆえ、この箇所がイエス様のご人格についてはっきり述べているものであることがわかります。
オリゲネス
オリゲネス
すなわち、彼は地球に来られたイェホバであられることです。
 このことは、イザヤ書だけから引き出されるものではありません。
 オリゲネスは、イエスが肉において来られたイェホバであるとは信じていなかったため、彼のグノーシス的信念に一致するようにこの節を改ざんし、マラキ書との関連性を抹消したのです。
 KJなどの聖書は、イェホバが肉において来られたことを明らかにしていますが、他方、NAS・NIVなどの改ざん聖書は、そうしていません。
 ここでは、キリスト・イエスのご人格および神性についての重要な教理が争点となっているのです。



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