聖書の歴史 B-7 聖書の歴史 目次 

《 ローマ帝国東西分裂後の聖書 》

フロイド・N・ジョーンズ博士

● 東方教会のTR聖書と、西方教会のウルガタ聖書
 教会が東方(ギリシャ語)と西方(ラテン語)に分かれると、東方教会ではギリシャ語のTR(テクストゥス・レセプトゥス)が標準になりました。(その結果、ギリシャ正教会の公式本文として採用されていました)
 しかし、西方ではヒエロニムスのラテン語ウルガタ聖書を固持しました。

TR聖書の流れ》

手書きの原本(新約:紀元50年〜95年頃)
古代のギリシャ語写本(99%TRと合致)
マグダレン写本…世界最古の写本
 (紀元 66年 TRと合致)
古ラテン語聖書(150年頃 TRと合致)
古シリア語聖書(150年頃 TRと合致)
(ディアテッサロン[四福音書の調和]153年〜172年頃)
ワルドー派の聖書(TRと合致)
教父たちによる引用
聖句集(400年頃〜 100%TRと合致)


《99パーセント超の多数派写本》
    
  
   
  

ギリシャ語の写本(総計)
(総数 5262)


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東方教会: ギリシャ語のTRが標準

TR聖書の流れ》

■新約聖書の時代から存在した聖書改ざん者たち
マルキオン(異端グノーシス派)による聖書の改ざん140年頃
アキラ(降霊術者 80年〜135年頃)による旧約聖書改ざん
タティアヌスによる聖書の改ざん(2世紀)
無名の四人の改ざん者たち(175〜200年頃)
アフリカの書記者たちの改ざん(3世紀以前)
《オリゲネス》
オリゲネス


オリゲネス作成の旧約聖書:
 「ヘクサプラ」(245年)
 第一欄=ヘブル語聖書
 第五欄=オリゲネスによる改訂版「七十人訳聖書」
     外典を含む
 他の三欄=エビオン派(異端の人々によるギリシャ語訳
オリゲネス作成の「改ざんギリシャ語新約聖書」
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エウセビウスの50冊の「改ざん聖書」(331年)
バチカン写本・シナイ写本
                     
                     
■ヒエロニムス作成の
「ラテン語ウルガタ聖書」(405年)
(ローマ・カトリックの聖書)



西方教会: ヒエロニムスのラテン語ウルガタ聖書を固持

 その結果、東方教会と西方教会の間で進展していった憎悪は、単なる教理上の議論を越えたものとなっていきました。
 いずれの側も、相手の側が用いている写本は腐敗している(改ざんされている)と確信するようになりました。
 つまり、それらの読み方が必ずしも同じではなかったため、東方のギリシャ圏の人々はそのラテン語聖書に不信感を抱くようになり、西方のラテン圏の人々も同じく、ギリシャ圏の人々が彼らの本文を改ざんしたのだと確信するようになりました。
 どちらの聖書も、それぞれの社会では権威あるものであり続け、両者は、自分たちの聖書こそ真の最初からの聖なる本文であると主張しました。
 こうして二つの別個の「聖なる書」が出現したのです。

● 東西教会間の反目
 この憎悪は五世紀まで続き、いっそう高まっていきました。
 五世紀になると、ローマ教皇は、ギリシャ語およびギリシャ語の文書が西方ヨーロッパに流入するのを制限しました。注1
 千年近くの間(紀元約476年〜1453年)、東方の過去のすべての宝物(その記録、歴史、考古学、文学、科学など)は、西方には翻訳されないまま、そして利用されないままでした。
 ギリシャ語はヨーロッパ西部では外国語となりました。なぜなら、聖職者たちがギリシャ語の研究悪魔の研究だと宣言し、それを促進させた人々をみな迫害したからです。注2
 概して、西方はもっぱらラテン語となり、東方とは疎遠になりました。
 西方にベールを掛け、あの暗黒時代(476年〜1453年)に突入させることに大いに貢献したのは、そのように過去の業績にいつまでも反対し続けたことでした。
 この暗黒の支配が続いたのは、1453年の半世紀前まででした。それは、ギリシャ語圏の人々が、トルコから洪水のように押し寄せる侵入者たちから逃れ、彼らの言語と文学と文化を携えて西方に来た時でした。注3
 この分離と分裂と孤立の時期、聖書は、この二つの社会(東方と西方)のそれぞれの地域で、教会人(修道士、司祭、主教)たちにより、教会独自の所有物として解釈され、コピーされ、配布されました。
 そして、どちらの側も、自分たちこそ「聖なる本文」に取り組んでいると確信していたのです。

● 西方教会のウルガタ聖書を退けたエラスムスたち
 エラスムスがその西方教会の「本文」を決定的に中断させたのは、十六世紀になってからでした。注4
 エラスムスは、それを、東方教会「ギリシャ語新約聖書正典」および「本文」と入れ替えたのです。
 エラスムスも、ロレンツォ・バラ(約1406年〜1457年。任職されたイタリア人司祭であり、おそらく、ルネサンス期で最も聡明な知性の持ち主でした)も、中世ローマ・カトリック教会が「聖なる本文」としていたラテン語版ウルガタ聖書を退けました。注5

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注1)Wilkinson著書 pp.44-45
注2)Froude,"Life and Letters of Erasmus" ,pp.74,187,294,256
注3)Wilkinson著書 p.44
注4)Letis,"Brevard Childs and the Protestant Dogmaticians",p.4
注5)同書 p.7


《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》  

さらに深い理解のために(英語)
フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書
→ "Which Version Is The Bible?"(2010年版) p.170~,199~[PDFファイル]



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