● ローマ皇帝の指示による50冊の聖書
バチカン写本・シナイ写本は、紀元331年、ローマの皇帝コンスタンティヌスがエウセビウスに指示して作らせた、50冊の聖書の中の2写本でした。
『聖書の準備に関する、コンスタンティヌスからエウセビウスへの手紙』
“…I have thought it expedient to instruct your Prudence to order fifty copies of the sacred Scriptures(50冊の聖書)…
… to be careful to furnish all things necessary for the preparation of such copies(それらの聖書の準備のために必要などんなものも与える)…」
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●50冊の聖書の中のバチカン写本・シナイ写本
■ジャスパー・J・レイ師(聖書教師、宣教師)は、『聖書本文の権威者たち』が述べている七つの参照箇所を紹介し、こう述べています。
「聖書本文の権威者たちは、『シナイ写本とバチカン写本は、紀元331年以降にエウセビウスによりコンスタンティヌスのために作られた50冊のギリシャ語聖書のうちの二つの現存写本である』と信じています」
1. バーゴン,ミラー共著 ,"The Traditional Text",p.163
2. "カトリック百科事典(Catholic Encyclopedia)",Vol.4,p.86
3. Gregory,"The Canon and Text of the New Testament",p.345
4. アイラ・M・プライス博士[古代言語・文献学教授]著
『英語聖書の起源』"Ancestry of the English Bible",p.70
5. A.T.Robertson,"Introduction to the New Testament",p.80
6. Dr.Philip Schaff,"Companion to Greek Testament",p.115
7. スクリブナー博士,"Introduction to the New Testament",Vol.2,p.270 |
("God Wrote Only One Bible",p.19, Jasper James Ray)
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■T・C・スキート氏(1907年〜2003年)は聖書写本など古代文献に生涯をささげ、聖書写本に関する数々の本も著しました。彼は1931年から大英博物館(シナイ写本等を所蔵)の司書となり、数々の写本の管理者でした。シナイ写本は、彼が大英博物館に勤務してまもなく、1933年、ソビエト政府から購入されました。
スキート氏は、1999年の著書の中で、次の要旨を述べています。
シナイ写本は、ローマ皇帝コンスタンティヌスからの指示により完全な形での聖書として作られようとしていたが完成前に破棄されたものであり、一方、バチカン写本は、実際にコンスタンティヌス帝に渡されたあの50冊の聖書のうちの一つであった。
『シナイ写本とバチカン写本とコンスタンティヌス』
(1999年 T.C.Skeat "The Codex Sinaiticus, The Codex Vaticanus and Constantine",
Journal of Theological Studies 50)
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■D・ O・フラー博士は次のように述べています。
「バチカン写本とシナイ写本が保存されてきたのは、おそらく、それらが『ベラム皮紙』に書かれたからです。
ただし、当時のそれ以外のほとんどの書物は『パピルス紙』に書かれました。
ティッシェンドルフ(シナイ写本の発見者)およびホート(RV本文の作成者)を含めて、多くの学者が、このバチカン写本とシナイ写本は、エウセビウスがコンスタンティヌスの下で、コンスタンチノープルの諸教会での使用のために用意した、あの50冊の写本のうちの二つであると考えています」
("Which Bible",p.163 , David Otis Fuller)
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■フロイド・N・ジョーンズ博士はこう述べています。
「バチカン写本とシナイ写本…それは、エウセビウスが紀元331年以降、コンスタンティヌスのために自らが監督して作った、あの最初の50冊の聖書写本のうちの現存する二つの大文字写本です」
"Which Version Is The Bible?", p.106~
「これらの写本は、『立派なベラム皮紙』(上等の皮紙)で、ローマ政府の印も記されて、コンスタンティンのために用意されました。
この『ベラム』(動物の皮)は、とても上等なものであり、皮紙二枚を作るだけのために一頭のカモシカが使われるほどでした。
このような事業のために十分な資金を持っていたのは王室だけであったはずです」(D-5)
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次に、このバチカン写本・シナイ写本がどのようなものであったかを見ることにしましょう。
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