聖書の歴史U-1 2 3 4 聖書のホームページ |
(注: 当ミニストリーズは"KJV Only運動"ではありません) |
聖書の歴史Uの四つのページは、どれも非常に重要な内容を扱っています。 聖書は、こう教えています。 「だれも、あなたがたを、どんな仕方でも、だますことのないようにしなさい」(第二テサロニケ2・3) 「ごまかしのない乳を慕い求めなさい。それによって成長するためです」(第一ペテロ2・2) 以下のページを、どうぞ順にじっくりお読みください。 |
TOP 【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】 |
【1】 |
■悪霊と交流する降霊術者 19世紀後半、イギリスで二人の熟練した降霊術者ウェストコットとホートが、WH本文と呼ばれる新約聖書本文を作りました。 そして、この二人が主導する1871年〜1881年の『聖書改訂委員会』により、このWH本文を土台とする最初の英語聖書RV(Revised VersionまたはERV)が作られました。 英語聖書RVを初めとして、19世紀後半以降に登場した現代の数々の新約聖書(日本語聖書も)は、このWH本文を土台として作られています。 ウェストコットとホートとは、どういう人物なのでしょうか?
B.F.ウェストコット(1825年〜1901年)は、イギリス国教会の主教であり、また、ケンブリッジ大学の教授でした。 F.J.A.ホート(1828年〜1892年)も、イギリス国教会の聖職者であり、またケンブリッジ大学の教授でした。 ただし、それは彼らの表向きの肩書きでした。 彼らは"秘密"主義者であり、彼らのことは一般の人々には知られていませんでした。 けれども、彼らが書いた手紙や彼ら自身の家族の証言から、彼らの実態がわかってきました。 すなわち、
そうして、B.F.ウェストコットも、F.J.A.ホートも、"親友"のエドワード・ホワイト・ベンソン(後のイギリス国教会のカンタベリー大主教)もみな、悪霊と交流する降霊術者であったことが明らかになりました。 (→《ウェストコットとホートの降霊術との関わり 》参照)
|
■神が堅く禁じておられる罪 降霊術(心霊術・死者との交流)は、聖書で神が堅く禁じておられる罪です。 旧約聖書の申命記にはこう書かれています。
この「オーブ霊」や「死人の霊」、あるいは「亡霊」は、すべて悪霊です。 そういう悪霊と関わること、交流することを、神は堅く禁じておられ、そういうことは神にとって「忌み嫌うべきこと」(9節)です。 そして、「これらのことを行う者はみな」、神にとって「忌み嫌うべきもの」(12節)です。 つまり、「死人の霊」「亡霊」と関わる人々、降霊術に関与するすべての人はみな、神にとって「忌み嫌うべき」存在となるのです。 そういう罪に対する対処、刑罰について、レビ記にこう書かれています。
つまり、「死人の霊」「亡霊」と関わる人々に対する刑罰は、当時であれば、「石で打ち殺す」ことでした。 現代の降霊術者が当時のイスラエルの民の中にいたとすれば、その人はただちに「石で打ち殺され」たはずです。
|
【1】終わり。TOPに戻る |
|
【2】 |
■降霊術の正体 かつては心霊術の教師であったラファエル・ガッソン氏は、その後、救われてクリスチャンとなりました。彼は心霊術(降霊術)の正体について、著書『悪魔による偽造物』で、こう述べています。(詳細は、同書の「第二章 心霊術の正体」参照)
こうして明らかなように、霊媒者の神、降霊術者たちの神とは、悪魔です。 亡くなった人になりすましている亡霊とは、悪霊です。 亡霊と交信(交流)するとは、すなわち、悪魔と交信(交流)することであり、悪魔の支配に自分を明け渡しているのです。 そのような人は、悪魔の傘下にいる人であり、イエス・キリストの傘下にはいません。 |
■ウェストコットとホートと悪霊との関わり ウェストコットとホートは悪霊と深く関わりました。 彼らは降霊術に深く関わり、悪霊と交信(交流)しました。(→《ウェストコットとホートの降霊術との関わり 》参照) フィル・ストリンガー博士は次のように述べています。(Phil Stringer:Were Westcott and Hort Secret Practitioners of the Occults? )
ウェストコットとホートは、彼らが二十代の頃から長期にわたり、「死人の霊」「亡霊」と深く関わった人々でした。
|
【2】終わり。TOPに戻る |
|
【3】 |
■大ぜいの悪霊との交流を"喜び"としたウェストコット (Phil Stringer:Were Westcott and Hort Secret Practitioners of the Occults? 参照)
ビクトリア女王ですら、降霊術に関わりました。 ウェストコットの息子アーサー氏によれば、ウェストコットは『聖徒たちとの交わり』(実際は"亡霊"との交流)も行いました。 死んで間もない人々の霊との交流は可能だと信じられていたのです。 聖書翻訳者のフィリップス(J. B. Phillips:フィリップス訳聖書の翻訳者)も、『聖徒たちとの交わり』(実際は"亡霊"との交流)を信じていました。 彼は、C・S・ルイスの死後、ルイスの"霊"が自分を訪れたと信じていました。 ウエストコットは、どのようなことを行っていたのでしょうか? ウェストコットの息子アーサー氏によると、父B.F.ウェストコットも"亡霊"たちとそのような体験を行っていました。 アーサー氏はこう記しています。
フィル・ストリンガー博士は、ウェストコットの娘の証言を紹介しています。 |
■聖書の中にない"教理"を受けて広めたウェストコット ウェストコットは1887年発行の著書の中で、次のように述べています。
このような"教理"は聖書の中には存在しません。 むしろ、それは反聖書的な"教え"です。 これはいったい、どこから来た"特別情報"なのでしょうか? 降霊術者は、"亡霊(死者の霊)"すなわち"悪霊"との交流を通して、彼らなりの"啓示"や"特別な知識や情報"を受けることがあります。 聖書は、こう言っています。
ウェストコットもホートも、「惑わす霊どもに、また、悪霊どもの教えることに心を向け」た降霊術者でした。 人が亡霊(悪霊)に対して自分の心を開き、耳を傾けるなら、悪霊はその人に働きかけ、話しかけるようになり、他の人々が知らない何らかの"特別情報"を伝える可能性があります。 降霊術者たちは、そういう"悪霊どもの教えること"に心を向けていき、悪魔と悪霊どもの支配下にますます入っていくのです。 "クリスチャン"と呼ばれる人々であっても、そういうことをするなら、聖書の神への正しい「信仰」から離れるようになります。 ウェストコットもホートも、聖書の神への正しい「信仰」から離れた降霊術者でした。 ウェストコットは、上記のような"悪霊どもの教えること"を本を通しても広めました。 彼は反聖書的な"教え"の宣布者でもあったのです。 |
【3】終わり。TOPに戻る |
|
【4】 |
■"テーブル回し"を行って (Westcott and Hort | Bible Ready参照) 1864年10月、F.J.A.ホート(当時36歳)は彼の妻に宛てた手紙で、こう記しています。
(ド・モルガン[ド・モルガンの法則で知られる数学者]は、妻ソフィアとの共著で『物質から霊へ:十年間にわたる霊現象の体験の結果_質問者への案内ガイド』(1863年)を出版しました) 「この『私たちはテーブルを回してみた』という語句は、まさにオカルトの降霊術の会に言及しているものです。 『あの生き物たちは反応しなかった』とは、ホートおよび彼のゲストたちが交流しようと呼びかけていた"霊"(悪霊)に言及しています。 ウェストコットとホートは、熟練したオカルト実践者たちでした。
|
【4】終わり。TOPに戻る |
|
【5】 |
■ウェストコットとホートが関わったオカルト団体
|
●『使徒クラブ』(The Apostles 定員12人) 1820年にケンブリッジ大学でジョージ・トムリンソン(当時は学生)により設立されたクラブ。 その後、ウェストコット、ホート、シジウィック、バルフォア、モーリス(J. F. D. Maurice)らが加わりました。
メンバーのヘンリー・シジウィックは、「このクラブへの愛着のきずなは、私の生涯で知る限り最強の集団結束力である」と記しました。 シジウィックは『自動筆記』(悪霊による行為)にも関わっていました。(Satan’s ‘Apostles’) その後、この『使徒クラブ』の中に同性愛者たちも現れました。 |
【5】終わり。TOPに戻る |
|
【6】 |
バルフォアは、彼の降霊術(死者の霊との交信)の行為で有名になりました。 この『エラヌス・クラブ』は最終的にはオカルトの秘密結社として知られるようになりました。 バルフォアとシジウィックは数々のオカルト組織や、神智学(霊媒者ヘレナ・ブラヴァツキーが起こした宗教)などにも関わっていました。 ホートの息子アーサー氏によれば、『エラヌス・クラブ』は『シニアの使徒たち』のクラブでした。
また、トレンチ、アルフォードに関する証言もあります。
つまり、後に聖書"改訂"委員となるトレンチとアルフォードは、『使徒クラブ』『エラヌス・クラブ』とういう二つの秘密クラブの、両者の、あるいは、いずれかのメンバーだったのです。 これらのクラブは心霊術者(降霊術者)たちの団体であり、死者とコミュニケーションをすること(ネクロマンシー:死者の霊を介して行われる魔術)などの反聖書的行為を信じる団体でした。 ………………………………………… Cambridge Apostles THE NINETEENTH CENTURY OCCULT REVIVAL |
●『心霊現象研究協会:SPR』
(SPR:The Society for Psychical Research)…1882年設立。 設立者:シジウィック(初代の総裁として9年間務めました)、アーサー・バルフォア、フレデリック・マイヤーズほか
これは、霊媒を通じて死者と交信する降霊術の会を開き、催眠術、心霊術、降霊術、テレパシー、トランス状態、透視、ESP、亡霊、亡霊屋敷などの現象を調べ、心霊現象についての法則を決定しようとするものでした。 フレデリック・マイヤーズは、死者たちについての彼の研究に基づき、死者たちは霊の領域で住んでいると信じ、心霊研究の将来をこう予言しました。 「私は今や、我々が死んでも生き続けることには少しの疑念も感じない。 紀元2000年になる前に全世界はこのことを受け入れているであろうことを、私は確信している」 このSPRは、1800年代の後半、イギリスのエリート階級の人々の間に降霊術の興隆をもたらす大きな要因となりました。 ( THE NINETEENTH CENTURY OCCULT REVIVAL_The Legacy of Westcott & Hort By Barbara Aho) SPRは現在も存在します。→Society for Psychical Research |
【6】終わり。TOPに戻る |
|
【7】 |
■降霊術者らが主導した『聖書"改訂"委員会』 こうして明らかなように、1871年〜1881年の『聖書"改訂"委員会』には、少なくとも5人の秘密クラブ員・降霊術者/オカルト主義者がいたのです。 (ほかにユニテリアン派のG.V.スミスもいました。ユニテリアン派は、三位一体を否定、イエス・キリストの神性を否定、イエス・キリストのあがないを否定、聖書の霊感を否定しました) そして聖書改訂委員会を主導したのは、ウェストコットとホートら降霊術者たちでした。
数々の秘密クラブのメンバー間の結束力は、並はずれて強力なものでした。 メンバーのヘンリー・シジウィックは、「このクラブへの愛着のきずなは、私の生涯で知る限り最強の集団結束力である」と記しました。 ユニテリアンのG.V.スミスについては、彼を委員会に入れないようにする動きがありました。 ところが、ウェストコットとホートのほか、委員のスタンレー監督も、旧約聖書担当委員のサーウォール司教も、「スミスを委員会から除くなら、我々は委員を辞める」と言って反対しました。(George Vance Smith) こうしてウェストコットとホートらは票決で反対派を退け、有利に主導したのです。(『聖書"改訂"委員会』参照) こうして、この委員会が作り出した英語聖書RV(またはERV)について、G.V.スミスは、それがユニテリアン派の教えを支持する"聖書"となったことをはっきり宣言しました。 実際、それは、リベラル派とユニテリアン向けの"聖書"となっていました。(次のページで詳述) |
【7】終わり。TOPに戻る |
|
【8】 |
■『聖書"改訂"委員会』の真実 ウェストコットとホートは、どういうことをしたのでしょうか? (1)【TR聖書本文への敵対】 彼らはTR聖書本文を敵対視していました。 1851年、F.J.A.ホートはこう書き記しました。
(2)【独自の本文の持ち込み】 ![]() 1870年から『聖書改訂委員会』が始まると、ウェストコットとホートは、その用意していた本文を秘密裏に委員会に持ち込みました。TR新約聖書本文とは全く異質の本文でした。 (3)【口封じ・非公開】 彼らは、1870年からの約11年間、秘密の誓約を委員たちにさせて口封じを行い、自分たちの作業を隠し続けました。ちょうど、ホートがかつて『使徒クラブ』で"呪い"の宣誓文を書いてメンバーに課したように、です。 このことは、同じイギリスでKJ版聖書が翻訳発行された時とは正反対です。 KJ版聖書の翻訳作業は公開されつつ進められました。(→ キング・ジェームズ版聖書の歴史参照) イエス・キリストはこう言われました。
ところが、ウェストコットとホートらは「隠れて、秘密裏に」事を進めました。 (4)【悪霊との交流の継続】 その聖書"改訂"の期間中でも、ウェストコット、ホート、ライトフットらは降霊術に関わり続けていました。 たとえば、1872年、ウェストコット、ホート、J.B.ライトフット(いずれも聖書改訂委員)は、オカルトの秘密結社として知られるようになった『エラヌス・クラブ』を設立しました。 また、前述のように、1877年にはホートは自らの部屋を会場として『降霊術の会』を開いていました。
ウェストコットとホートのこのギリシャ語本文WHが公開されたのは、英語聖書RVが初めて登場するわずか五日前のことでした。 そのため、バーゴン監督のような聖書を信じる学者たちによる検証が妨げられました。(Facts about Westcott and Hort) (6)【欺き・違反・偽り】 彼らは、教会(イギリス国教会)を欺きました。 教会(イギリス国教会)が彼らに課していたことは、TR聖書本文の『小さな変更』(たとえば、大文字、句読点、古代語の廃止など)を施すことだけでした。(『小さな変更だけのはずであった聖書改訂』参照) ところが、彼らはそれに違反し、TR本文を廃棄して全く別の英語聖書RVを作り出しました。 彼らは教会(イギリス国教会)に偽りを言い、だましたのです。 ちょうど、アナニアとサッピラがペテロの前で偽りを言って欺いたようにです(使徒5・1〜10参照)。 (7)【正体の隠匿】 ウェストコットとホートらは自分たちの正体を隠していました。 (この二人のことだけでなく、『聖書改訂委員』の中にライトフット、トレンチ、アルフォードなど降霊術者や秘密結社の設立者やメンバーが幾人もいることについても、です)
|
《日本語"聖書"とWH本文》 | ||||||||
●福音派・保守派の人々は 19世紀後半、イギリスで二人の熟練した降霊術者ウェストコットとホートが、WH本文と呼ばれる新約聖書本文を作りました。
そして、この二人が主導する1871年〜1881年の『聖書改訂委員会』により、このWH本文を土台とする最初の英語聖書RV(Revised VersionまたはERV)が作られました。 福音派・正統派のクリスチャンは、こう受け留めたのです。
ウェストコットとホートらは自分たちの正体を隠したまま、イギリス国教会から委託を受けた『聖書改訂委員会』という名目の下で新たな"聖書"を登場させることに成功しました。 福音派・保守派の多くの人々はだまされてきたのです! すなわち、本当は、このWH本文が、悪霊・悪魔との交流者たちが創り出した、改ざんされた聖書本文であることです!! 19世紀後半以降に登場した現代の数々の日本語新約聖書も、このWH本文を土台として作られています。(『新約聖書と本文』参照)
これらの"聖書"の土台となっているのは、19世紀後半、イギリスで二人の熟練した降霊術者ウェストコットとホートが作り出した、WH本文です。 神がご自分の聖書を編集させるために、悪魔や悪霊と交流する人々を用いることなど、 このWH本文を土台とする”聖書"、すなわち、19世紀後半以降に登場した数々の"聖書"は、降霊術、ユニテリアン主義、リベラル主義だけでなく、 詳細は以下のリンク先のページでご確認ください。
改ざん"聖書"は本当の聖書ではありません。 これまで、福音派・保守派の多くの人々はだまされてきたのです!! 福音派の人々には、断然『本当の聖書』をおすすめします! 真のクリスチャンが読むべき聖書は、改ざんされた"聖書"ではなく、神が認証された聖書です。 決してだまされていてはいけません!! エターナル・ライフ・ミニストリーズは、聖書とキリストを全面的に信じる聖徒の皆様には、 聖書は、こう教えています。
|
【改ざん聖書の真実】 |
|
ページの上へ↑ |
![]() |
| ||
《 聖書の真実がわかる動画サイト集 》 |
聖書の歴史V 偽造写本から"ねつ造"された |
《聖書の歴史_目次》 ■本当の聖書の歴史概観 ■聖書改ざんの歴史概観 ■新約聖書の歴史 並列概観 ■シナイ写本の偽造プロセス イエス様が確証された 神に認証された聖書 ネストレ版/UBS版聖書本文とは? 聖書協会TBSとUBS 聖書本文の比較と検証 モルモン教も加わった聖書 新たなパートナー:モルモン教 『本当の聖書』の回復 |
●歴史Q 偽造された写本
1 偽造写本の"出現" 2 白いシナイ写本・ 3 だれがシナイ写本を 4 色付けされたシナイ写本 5 シナイ写本の意図的な削除 6 偽造写本『2427』の正体 7 ティッシェンドルフが持ち去った 『シモニデス写本』 8 ティッシェンドルフに抜き取られた シモニデス氏の写本 9 シナイ写本・バチカン写本_ |
利用規約
Copyright C. エターナル・ライフ・ミニストリーズ
![]() |