第一世紀の公的記録


これらの記録文書はどのようにして発見されたのか

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 1856年、私たち(W・D・マハン)がミズーリ州デウィットに住んでいた時、H・C・ワイダマンという名前の紳士が、大雪のため身動きがとれなくなり、数日間、私の家に滞在しました。
 彼はドイツ生まれで、非常に学識のある人でした。彼はとても話しやすい人でした。
 滞在中、彼は私にこう語ったのです。
「私はローマで五年間過ごしたことがあります。そのほとんどをバチカンで過ごしました。私はそのバチカンで、56万冊の本を所蔵する図書館を見ました
 ワイダマンは私にこう言いました。
「私は、ティベリオ・カイサルの記録文書を見て読んだことがあります。
 『ピラトの行ない』と呼ばれる文書の中に、ナザレのイエスの捕縛、尋問、十字架刑についての記述があるのを見ました。しかし、それには、一般的にキリスト教の教えとして受け入れられていることに付け加えるべきことは、あまりありません」
 彼は言いました。「私は、その写しを手に入れることが可能だと思いました」
 ワイダマンが帰った後、私は彼が話してくれたその記録文書のことを考えました。そしてもし写しが手に入るなら、現在のキリスト教の教えにとって付け加えるべきことがあまりなくても、とても興味深いことだと思いました。
 それで、数カ月後、私は以下の手紙のやり取りに示すように、ワイダマン氏の跡をたどることにしたのです。

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1856年九月二十二日、ミズーリ州デウィット
ヘンリー・C・ワイダマン氏へ
 この春、あなたが私の家を離れてから、私は、あなたがローマ滞在中にバチカンで『ピラトの行ない』を読んだ、と私に語られたことについて考えていました。
 もし、よろしければお願いしたいのですが、費用があまりかからなければ、その記録文書の写しを入手していただけないでしょうか?
 ローマにいるあなたの旧友で、あなたが信頼できる方に連絡をとっていただき、それを入手できるかどうか確認していただけないでしょうか? もし可能であれば、それを入手するのに見積もりでどのくらい費用がかかるでしょうか?
 本当にありがとうございます。手数料と代金は私がお支払いします。
W・D・マハンより

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1856年十一月十二日、ニューヨーク
W・D・マハン氏へ
 あなたからH・C・ワイダマンへ宛てた手紙を受け取りました。彼はドイツに帰ったことをお伝えします。あなたの手紙を転送しました。
C・C・バントバーガーより


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1857年三月二日  W・D・マハン氏へ
 私がアメリカ滞在中、あなたのもとで、おもてなしいただいたことを思い出し、心から感謝しています。どんなことでもお役に立てるなら、この上ない喜びです。
 私はフリーリンヒューセン神父に手紙を書きました。彼はローマで非常に学識のある人で、バチカンの守衛長です。私は、私自身の名前で請願書を出しました。というのは、彼らはそのような文書が公にされることを望まないだろうと思ったからです。
 彼から返事が届き次第、もう一度あなたにお手紙を差し上げます。
H・C・ワイダマンより

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1857年十一月二十七日、ドイツ・ウェストファリア
W・D・マハン氏ヘ
 フリーリンヒューセン神父から、あなたが求めておられる写しに関して私が出した手紙の返事が届きました。
 彼が言うには、その文書は非常にすばらしいものであり、私が以前あなたにお話ししたようにラテン語で書かれており、その羊皮紙はとても古くて汚れており、ほとんどの箇所を眼鏡を使って見なければならないだろう、ということです。
 彼はラテン語でしかそれを提供できません。彼は英語がわからないからです。
 彼は、35ダリクでその仕事を引き受けると言っています。アメリカの貨幣にすると、62ドル44セントです。もしその額をお支払いいただけるなら、私はその記録文書を私の義兄のC・C・バントバーガーに送ります。彼はそれをわずかな費用で翻訳してくれるでしょう。
H・C・ワイダマンより

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1858年二月八日、ミズーリ州チリコーズ
H・C・ワイダマン氏へ
 あなたのご好意に感謝します。もし成功すれば、あなたにお手数かけたことを決して忘れることはないでしょう。
 ニューヨーク外国為替銀行の小切手で62ドル44セントを同封しています。どうかこの働きを進めてください。そしてフリーリンヒューセン氏にお願いして、原本の真の写しを一通入手していただいてください。それをバントバーガー氏に送って、英語に翻訳してもらってください。私がその費用をお支払いします。彼は私の住所を知っています。
W・D・マハンより

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1858年六月十四日、ドイツ・ウェストファリア
W・D・マハン氏ヘ
 あなたの62ドル44セントの入金を確認しました。ご依頼の通りに適用します。
H・C・ワイダマンより

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H・C・ワイダマン氏へ
 ここに、その写しをお送りします。ピラトによるティベリオ・カイサルの法廷での文書として、バチカンに記録されている通りのものです。
 私はこれが、一語一語、そこに記されている通りに、真の写しであることを保証します。
ピーター・フリーリンヒューセンより

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1859年四月二十六日、ニューヨーク
W・D・マハン氏へ
 私はH・C・ワイダマン氏からの記録文書をあずかっています。それを英訳するようにとの指示も付記されています。10ドルを請求させていただきます。返答をお待ちします。
C・C・バントバーガーより

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 これらの手紙のやり取りにより、私は以下の記録文書(本書『第一世紀の公的記録』)を受け取ったのです。
 私は告白しなければなりません。これは神の霊感を受けて書かれた文書ではありませんが、キリストのことばが弟子たちの心の内で燃えていたように、それらのことばは、私の心の内で燃えたのです。そして私は、これが真実の文書であると霊に迫るものを覚えており、心から満足しています。
 W・D・マハン


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