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HOME >異端・カルトのカルビニズム > |
《目次》
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■カルヴァンとミシェル・セルヴェ ミシェル・セルヴェについて、あなたは聞いたことがあるでしょうか? たいていの人は、ないはずです。なぜでしょうか? なぜなら、ミシェル・セルヴェのことは、隠蔽(いんぺい)されてきたからです! 私は、宗教改革以降の教会歴史における重要な一つのことを明らかにしたいと思います。 このことは、これまでずっと秘密にされてきて、その諸事実を知る人はごく少数です。 1553年10月27日、カルヴァン主義神学(カルビニズム)の創立者ジャン・カルヴァンは、スイスのジュネーブ郊外で、スペイン人の医師ミシェル・セルヴェを彼の教理上の信念のゆえに木に掛けて焼き殺しました! こうして、『一度救われたら、ずっと救われたままである』という教理(『聖徒たちの『永久保障または、永久保全)』として知られている教え)の創始者カルヴァンは、聖書的正当性なしに教理上の対立者を殺害することにより、プロテスタント宗教改革の叫びである『聖書のみ』に違反したのです。
この出来事は、ミシェル・セルヴェが捕らえられるよりずっと前から、ジャン・カルヴァンがたくらんでいたことでした。 というのも、1546年2月13日(ミシェル・セルヴェが捕らえられる7年前)にジャン・カルヴァンは友人のファレルに宛てた手紙で書き、それが記録に残されているからです。 こう書かれています。
明らかに、当時、スイスのジュネーブにおけるジャン・カルヴァンの権威には最高度の『重み』がありました。 そのため、
ミシェル・セルヴェの審問期間中、ジャン・カルヴァンはセルヴェについて、こう書きました。
これらすべてのことは、少なくとも、ジャン・カルヴァンの『あまり知られていない、魅力的ではない』側面を明らかにしています! 明らかに、彼には、心の中に殺意ある憎しみが以前からあり、聖書のみことばに違反してでも人を死に至らせ、しかも、きわめて残酷な方法でそうしようとしていたのです。 ジャン・カルヴァンはミシェル・セルヴェの首をはねることに同意し、処刑というやり方で行われることを黙認しました。 |
■セルヴェに対するカルヴァンの しかし、なぜ、ジャン・カルヴァンはミシェル・セルヴェを死に追いやる願望を抱いたのでしょうか? こう記録されています。
ジャン・カルヴァンがセルヴェを逮捕した8月14日から彼に有罪宣告が下されるまで、ミシェル・セルヴェは彼に残された日々を、次のように過ごしました。
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■苦しめられ、ゆっくりと焼き殺されたセルヴェ ジュネーブのカルヴァン主義者たちは、ミシェル・セルヴェの足の周りに半緑の木(燃えるのが遅い)を置き、彼の頭の上に、硫黄がばらまかれた花冠(リース)を置きました。 そのような火の中で彼を命なきものとするのに、30分以上かかりました。 その間、ジュネーブの人々は周囲に立ち、ミシェル・セルヴェが苦しんで、ゆっくりと死んでいくのを見つめていました! このことが起きる直前のことが、次のように記録されています。
聖書には、あの十字架上で回心した男のことが書かれており(ルカ23・42、43 ルカ18・13も参照)、みことばには、「主の御名を呼ぶ者はだれもみな、救われるようになる」(使徒2・21、ローマ10・13)と記されています。 それなのに、ファレルは、ミシェル・セルヴェの命の最後の時、彼を救われていない者とみなしたのです。
けれども、だれかの救いについてそういう種類のことを強調している箇所は、聖書のどこにも見当たりません。 十字架上で悔い改めて回心した男も、ピリピの看守も、コルネリオもみな、イエス様を信じて自分をゆだねるというきわめて基本的な信仰によって救われたのです。 |
■自分の敵を殺害後もさらなる侮辱を加えたカルヴァン
ちょうど、1415年にローマ・カトリック教徒たちがジョン・フスを彼の教理上のことで木に掛けて焼き殺したのと同様に、ジャン・カルヴァンも、ミシェル・セルヴェを木に掛けてで焼き殺されるようにしたのです。 ところで、問題は教理だけだったのでしょうか? 別の理由、政治的な理由はなかったのでしょうか?
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■『偉大な神学者』ではあり得ないカルヴァン ジャン・カルヴァンのような一人の人物が、『偉大な神学者』であると同時に、こういう非難されるべき仕方で振る舞い、その後でも何の反省も示さないということが、あり得るでしょうか? 愛するみなさん、あなたは、ジャン・カルヴァンのように、だれか人を木に掛けて焼き殺すことのできる心を持っているでしょうか? このことを別の仕方で例証してみましょう。 あなたの教会の中で、霊的指導者として評判のよい一人の人物が、あなたの隣人の犬をつかまえたとします。 そして、その犬を杭に鎖でつなぎ、それから緑の木に火を付けて、その犬をゆっくりと焼き殺したとします。 そのような人について、あなたはどう思うでしょうか? 特に、あとで彼が何の反省も示さなかったとしたら、どうでしょうか? あなたはそのような人に、あなたのために聖書を解き明かしてほしいと思うでしょうか? |
■イエス様の教えと違うことを教えたジャン・カルヴァン 私たちがこれから結論付けることのできる唯一のことは、ミシェル・セルヴェに対する殺意ある憎しみの結果、ジャン・カルヴァンの心は光で照らされてはなく(啓発されてはなく)、暗くされていたことです。 ジャン・カルヴァンはその憎しみにより霊的に盲目にされ、それゆえ、真理のみことばを正しく見分けることは霊的に妨げられていたのです。 たとえば、麦と毒麦のたとえ(マタイ13・24〜43)で、イエス様は「畑とは、この世です」(38節)と言われましたが、ジャン・カルヴァンは、「畑とは、教会である」と教えました。(カルヴァンによるマタイの福音書の注解を参照) |
■救われていなかった人: カルヴァン! 聖書によれば、ジャン・カルヴァン自身は救われていない人でした。
聖書は、殺意のある人々は自分の内にとどまるものとして永遠の命を持ってはいないと言っています。 愛するみなさん、人殺しは救われている人ではありません。 ジャン・カルヴァンは人殺しでした。 したがって、ジャン・カルヴァンは救われてはいませんでした! |
■理解力が暗くされていた人 救われていない人々は「理解力が暗くされて」(エペソ4・18)います。
ジャン・カルヴァンは、救われていませんでした。 したがって、ジャン・カルヴァンは、霊的理解力が暗くされていたのです。 |
■悪い実によって知られる悪い木 イエス様は、私たちは人々を彼らの実によって『知る』ことができる(判別できる)と言われました。(マタイ12・33) それがジャン・カルヴァンであっても、他のだれであっても、です!
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■『神の子ども』か、それとも 同様に、使徒ヨハネもこう書きました。
あなたは、「ミシェル・セルヴェに関してジャン・カルヴァンは"義"(正しいこと)を行った」と言うことができるでしょうか? 上記のみことばや、すでに述べた数々のみことばによれば、彼は『悪魔の子ども』となるのではないでしょうか? 聖書のみことばから、それ以外の結論に至ることができるでしょうか? |
■ジャン・カルヴァンを訴えた二人の人物 ジャン・カルヴァンの霊的状態を客観的に知るために、これ以上の証拠は必要ありませんが、他の二人の人物についても短く述べておくべきでしょう。
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■異端者や偽教師にどう対処すべきか? 聖書の教えにとどまろうとする人は、異端者や偽教師にどう対処すべきでしょうか? パウロはテトスに手紙を書き、まさにこの問題に触れました。 彼はこの書で、まず、教会の監督の一つの資格として述べています。
ですから、明らかなように、偽教師は「口を封じ」られるべきです。 ただし、それは、カルヴァン主義の創始者が行ったようにその人物を殺してしまうことによってではなく、みことばでその人の誤りを証明することによってです。 これこそが、真のクリスチャンの手法です。 もしカルヴァンの行ったやり方が標準であるのなら、今度、異端の教えを広める人々が家の玄関に来たら、私たちは彼らを打ちのめし、彼らを杭に縛り付け、彼らを『人間のろうそく』とすべきことになります。 クリスチャンと公言する人が、まして、「神学者」と一般に言われている人が、そのようなことを行うことを、みなさんは想像できるでしょうか? そういうことが行われたとすれば、あなたは、そのような人が本当に救われていた人であると信じて、その人の特異な教理を忠実に守ることを自分に強いることができるでしょうか? パウロは、一部のクリスチャンたちの信仰を破壊していたヒュメナオとピレトの名前を公然と挙げました。 それは、偽教師の霊的害悪への予防に大きく寄与することでもあります。
なぜジョン・カルヴァンはそういう聖書の教えに大きく違反してしまったのでしょうか? 異端者にどう対処すべきかということに関して聖霊の霊感を受けたパウロの教えは、ジョン・カルヴァンの主張とは正反対のものです。 したがって、ジャン・カルヴァンは、パウロの受けていた御霊とは異なる霊に支配されていたと言えるのではないでしょうか? さらに、ジャン・カルヴァンの生涯についてのこれらの諸事実が今日ほとんど言及されないのは、なぜでしょうか? その答えは明らかです。 カルヴァンの名前を誇らしげに名乗るカルヴァン主義の人々にとって、これらの諸事実は困惑であり、自分たちの主張をくつがえしてしまうものでもあるからです! 彼らは福音派に属する団体であり、アメリカや世界で情報が広められることに対して大きな力と影響力を握っているため、彼らの創始者についてのこの情報が聞かれることは、めったにないのです。 多くの人は、現在、カルヴァン主義の創始者についてのこのショッキングな諸事実を初めて読んで、知りつつあるにすぎないのです!
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■多くのみことばに反するカルヴァンの教え 三つの重要な疑問が残っています。
カルヴァンの見解は聖書的でしょうか? それを肯定することは、ジャン・カルヴァンの『二重予定説』を真実であると主張することです。 すなわち、『ある人々は天国へと予定されており、ある人たちは、自分たちの側には自由な選択権なしに地獄へと予定されている』という説です。 (カトリックの神学者であったヒッポのアウグスチヌスが予定説を唱えた人物であり、ジャン・カルヴァンは、アウグスチヌスから数々のアイデアを引き出しました) この説は多くのみことばに反しています。 特に、第二ペテロ3・9にです。
さらに、ジャン・カルヴァンの教えは、十字架上でのイエス様のみわざを"無限のものではなかった"と主張しています。 なぜなら、その教えによれば、『イエス様がご自分の血を流されたのは、すべての人間のためではなく、選びの人々(救われるように予定されていた人々)だけのためであった』からです。 これは第一ヨハネ2・2によって、明らかに誤りであることがわかります。
また、彼の『聖徒の永久保障』の教理は、『真に救われている人が新生の後で重大な罪を犯しても、どんな異端の教えを受け入れても、神の力はその人の救いを保障し続ける』と主張し、こうして、その反対のことを証明している聖書の多くの事例や警告に反しています! |
■カルヴァンの倒錯した『恵みのメッセージ』の結果 明らかにしておくべきことがあります。 この創始者ジャン・カルヴァンから今日の人々に至るまで、『聖徒の永久保障』の教理(『一度救われたら、ずっと救われたままである』という教え)は、『恵み』という口実のもとで教えられている『不道徳のための許可証』となっているのです。 ユダ書3、4を見てください。
ちょうどジャン・カルヴァン自身の神学がセルヴェに対する彼の行動を許したのと同様に、今日、多くの人々が、性的不道徳をしたり、偽りを言ったり、酔っ払ったり、貪欲で満ちていたりしていながら、しかも自分は救われていると公言しています。 それはジャン・カルヴァンの倒錯した『恵みのメッセージ』の結果です。 それは、人を公然と焼いて死に至らせ、その後の十年と七ヶ月の残りの人生で自分の罪を公の場で一度も悔い改めずにいることのできた一人の人物から、「壊疽(えそ)のように蔓延(まんえん)」してきた教え(第二テモテ2・17)なのです。
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