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ジャン・カルヴァン(1509年〜1564年)は、16世紀のスイス・ジュネーブで約30年間の"統治"を行いました。 彼が行ったことについての数々の記録が残されています。 以下の三つの記録からわかるのは、1558年と1559年の2年間だけでも、人々が刑罰を課せられた事例が414件もあったことです。 この2年間だけで、ジュネーブの人口の2パーセント以上もの人々が、刑を課せられたことになります。 特に注目すべきは、1542年から1546年までのわずか5年間に、カルヴァンが自らの裁可で58人もの人々に死刑判決を下し、彼らを処刑したことです。 それ以外の期間にも、彼によって処刑された人々がいたことでしょう。 1553年10月27日、カルヴァンがスイスのジュネーブ郊外で、スペイン人の医師ミシェル・セルヴェを彼の教理上の信念のゆえに木に掛けて焼き殺しことについては、かなり詳しい記録が残されていますが、それより前に殺された上記の58人や他の人々については、まだ詳細がわかりません。 彼ら一人一人がどのような理由で死刑判決を下されたのかはわかりませんが、ミシェル・セルヴェの場合と同様の非常に残虐な仕方で処刑されたことは十分想像することができます。 当時の人々が彼を無情で残酷な暴君(専制君主)として非難したのは全く当然のことです! 「カルヴァンはジュネーブで"神政政治"を行った」と言うことは決してできません。 ジャン・カルヴァンについての三つの記録は次の通りです。 |
■ジャン・カルヴァンのジュネーブ統治に関する三つの記録
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カルヴァン自信が関わった殺人行為は、知られているだけでも、こうなります。
次のページで見るように、その後のカルビニストたちも同様に、処刑という殺人行為を行いました。 |
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