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2008年に地獄を体験したローリー・A・ディットは、こう証言しています。 「私は、『一度救われたら、ずっと救われたままである』という教えは、 私は、それは、まさに最大の偽り(うそ)であると思います」 彼女の天国体験・地獄体験の詳細は、『クリスチャンへの警告 第20集』■第三部をお読みください。 |
私がお話ししようとしているのは、地獄に存在する罪について、そして、私が地獄で見出した最大のうそについてです。 ●人生5173回分の借金 マタイ18章に書かれていることをお話ししたいと思います。 というのも、私が地獄にいた時、マタイ18章をはっきり理解できたからです。 弟子たちがイエス様のもとに来て、尋ねました。
七度でも多い数です。 すると主は彼に、七の七十倍までですと答えられました。 それは、あなたの兄弟を赦さなければならず、赦し続けなければならないことを意味します。 それは、非常に、非常に大変なことです。 「どうやって、そんなことができるの?」ということになります。 「どうやって赦し続けることができるの?」 イエス様は弟子たちに次のたとえを語られました。 このたとえの中に、神の国についての真理が見出されます。 いつくしみ深い王がいます。 王は、王に借金のあるしもべを呼び出しました。 その借金は、私が調べたところ、人生の5173回分です。 一回の人生を70年とした場合です。 そのしもべは、どうやってそのような請求分のお金を得るのでしょう? 王は、「私への借金を全部返しなさい」と言いました。 そのしもべは王にこう言いました。 「主よ、私にご辛抱ください。 そうすれば、私は借金を全部あなたにご返済します」 すると、王は彼にこう言いました。 「あなたの借金は免除されました」 すばらしいことです! この王はとても裕福であるにちがいありません。 彼はさっと免除することができたのです。 人生5173回分の借金を、です。 |
●『邪悪なしもべよ』 ところが、そのしもべは出て行き、彼のしもべ仲間を見つけました。 その人は、彼から少額の借金をしていた人でした。 その借金は、三日分の賃金でした。 そして彼は、こう言いました。 「おまえが借りているものを、私に返せ」 このしもべ仲間はこう言いました。 「私にご辛抱ください」 これは、彼が王に言ったことばと同じことばです。 「私にご辛抱ください。 そうすれば、私は全部をあなたにご返済します」 ところが、なんと彼はそのしもべ仲間を牢に投げ込みました。 王はこのことを知ると、そのしもべを呼び戻し、彼を『邪悪なしもべよ』と呼びました。 「私はあの借金を全部おまえに免除してやったではないか? それなのに、おまえは少額の借金を、おまえのしもべ仲間に免除できなかったのか?」 それから、この王は彼にこのように言いました。 「あの借金を全部持って来て、私に返しなさい」 人生5173回分の借金をです。 それからイエス様はこう言われます。 「ローリー、もし、あなたがあなたの兄弟を心から赦さなければ、天上の私の父も、あなたにそのようになさることになります」 おわかりのように、あの王がその借金を免除してあげた時、それは彼には返すことのできない借金でした。 |
●それこそ、まさに私がしてきたことだった! 王がそれを免除してあげた時、王は実質的にその借金を無しにしてあげるとともに、彼にあるものを与えたのです。 王がこのしもべに与えたものは、この王のような心でした。 それは小さなスタートでした。 このしもべは出て行き、彼の最初のテストを受けたのです。 あなたは、この王のような人になろうとしているでしょうか? けれども、このしもべは、その王の心を受け取ってそれを成長させようとはせず、この王のような人になろうとはせず、その借金を無しにしてもらっただけでした。 まるで、彼はその王の生き方をばかにしているかのようでした。 私は地獄でこのことがとてもよく理解できたのです。 私は、それこそ、まさに私がしてきたことだったと理解できたのです。 私がしてきたのは、イエス様をばかにすることだったのです。 イエス様は、この地上で私のこの借金を全部免除して(赦して)くださいました。 そして彼は私に、彼のようなこの小さな心を与えようとされたのです。 けれども、私はそれを受け取ろうとしなかったのです。 私は人を赦そうとせず、赦そうとせず、赦そうとしませんでした。 そしてついに最後は、私は地獄に行き着いたのです。 永遠に、です。 赦さない思いのために、です。 これは、非常に、非常に深刻なことでした。
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●地獄の独房の中 私は地獄で、涙のしずくの形(眼鏡のレンズなど)をした独房の中にいました。 そこには、そういうたくさんの罪が積み上げられていました。 その独房の部屋に入り込んだ最初の罪は、「あなたは親切ではない」というものでした。
そして地獄のその独房に、この罪が積み重ねられていたのです。 罪が一つ一つ取り扱われましたが、その最初は、人々が私にしたことについての罪でした。 もし私が自分にされてきたことを赦していたなら、私は地獄には行かなかったはずです。 それから、その部屋、この独房は、私の不親切なあらゆる行いで満ちました。 私が行ってきた、罪となる不親切な行いです。 自分が不親切なことをしたとは知らなかった行いと、私が知っていて行った不親切な行いです。 神が見ておられることを、あなたはご存知だったでしょうか? 神は、私が今何をしているかを見ておられ、あなたが今何をしているかを見ておられます。 神が私を赦してくださった時、彼があなたを赦してくださった時、彼はあなたの心の状態を知っておられます。 神はあなたに、神に似た者となるはずのこの小さな心をお与えになったのです。 そして、このたとえ話の終わりに、イエス様はこう言われました。
私たちは今すぐにでもパニックになるべきです。 あれほどの借金を、あなたは想像できるでしょうか? 神が私を救ってくださった時、それまでの私の罪が思い起こされることは、もはやなくなりました。 ところが私が地獄にたどり着いた時、私の罪がそこにありました。 |
●地獄で私に言い渡された三つのこと 私に言い渡された第一のことは、「あなたは親切ではない」というものでした。 私に言い渡された第二のことは、「あなたは柔和ではない」というものでした。 そして私に言い渡された第三のことで、私はとても、とても心が痛みました。 私が最も心を痛めたのは、忍耐(辛抱)についての罪が示された時でした。 私が天国にいた時、イエス様は私に対してとても忍耐強くあられました。 私が初めて天国に案内された時、私が初めてイエス様とお会いした時 、彼はとても忍耐強くあられました。彼はとても親切でした。 彼はとても柔和でした。 地獄には、私が行ってきた数々の罪が存在しました。 それらは、それら三つのカテゴリーの中に数えられていました。 そのことを説明させていただきます。 |
●『良い母親』 私は若い母親だったころ、『良い母親』になりたいと思っていました。 それで私は、私の娘たちが身ぎれいにしていることを願っていました。 娘たちは毎日お風呂に入らなければなりませんでした。 毎日です。 そして、彼女たちは毎日髪の毛を洗わなければなりませんでした。 髪がとてもフレッシュに見えるようにするためにです。 娘たちは、バスタブの中に入る時、泣いていました。 なぜなら、彼女たちは、きっと私が彼女たちの目の中にシャンプーを入れることになると思っていたからです。 初めは、私は赤ちゃん用のシャンプーを買いました。 それは目に入っても、目を痛めることはありません。 けれども、私が彼女たちの髪を洗うと、なぜかシャンプーが彼女たちの目に入ったようでした。 というのも、彼女たちがじっと座ってはいなかったからです。 その後、彼女たちが自分の髪にシャンプーを付け、私が彼女たちをお湯の中で座らせるようになりました。 さて、次は格闘でした。 私は彼女たちの髪から、お湯でシャンプーを洗い流そうとしました。 すると、泣いたり、何やかやでした。 でも、私は娘たちの見栄えを良くしたのです。 けれども、神は三度、それを罪として数に入れられました。
さらに別の罪は、こういうものでした。
ああ、神様! |
●『車の座席』 車の座席についてもです。 私は娘たちを車の座席に座らせようとしました。 彼女たちは車の座席が好きではありませんでした。 彼女たちは私とけんかしました。 彼女たちはそこに固定されたくありませんでした。 私たちは家族と会うために、長い距離を10時間から12時間かけてドライブします。 ですから、彼女たちは、一度そこに固定されたら、長い時間そこにいることになることを知っていました。 彼女たちは泣き出して、けんかや、何やかやをし始めました。 それで私は彼女たちを乱暴に扱わなければなりませんでした。 車の中で彼女たちをつかまえ、乱暴に扱い、バックル(締め金)で留めたのです。 見てください、私は何とすごいママなのでしょう。 しかし、それは四つの罪に数えられました。
神様、私をあわれんでください! もし私が赦してさえいたなら! 私が赦してさえいたなら! 私を傷付けた人々をです! 私が赦してさえいたなら! それは、私ができないことではありませんでした。 それは、私がそうしようとしなかったことでした。 そして、そういう罪が積み重なり続けて行きました。 次々と、です。 |
●地獄がふさわしい人々 私は地獄にいた時、憎しみを抱いていました。 私が憎んでいたと、どうして私は知っているのでしょうか? 私は本当に憎んでいたのです。 私は人々の悲鳴を聞くのもいやでした。 私は人々がそこにいるのもいやでした。 私は憎しみで私自身を満たしたのです。 私は地獄でどうやって私自身を憎しみで満たすことができたのでしょうか? なぜなら、私が地上でそれを持っていたからです。 私はこのことを誇っているわけではありません。 けれども、私は救われる前の若かったころ、離婚がよいことだとは信じてはいませんでした。 ところが私の結婚生活は崩壊しかかっていました。 それで、結婚生活に対して出した私の答えは、「マイクに必要なのは、ただ死ぬことよ」でした。 他人が死ぬことを願うとは、私はどういう種類の人間なのでしょうか? それは、殺意の心と呼ばれるものです。 人がそういうものを自分の心で許すこと、すなわち、だれかが死ぬことを自分の心の中で願うことです。 神はだれも死ぬことを願ってはおられません。 あなたがそういうものを自分の心で許す時、あなたは憎しみを許すのです。 あなたの生活の中に憎しみを許すのです。 私も憎しみで満たしたのです。 私は正しい状態にはいませんでした。 ちょうどイエス様が言われた通りです。 「もしあなたがあなたの兄弟を心から赦さなければ、同じそのことがあなたに起こります」 私は石のように心がとてもかたくなでした。 私は地獄がふさわしい者でした。 地獄にいる人はだれもみな、地獄がふさわしいのです。 それは、神が彼らをそこに行かせたいと思っておられるからではありません。 彼はそう思ってはおられません。 人々が耳を傾けて聞こうとしないからなのです。 |
●サタンのトリック…『一度救われたら、ずっと救われたまま』 サタンが持っているこのトリックには、名前があります。 それは、『一度救われたら、ずっと救われたままである』("Once Saved, Always Saved")というものです。 『一度救われたら、ずっと救われたままである』の意味は、こうです。 あなたが救われたその日、神はあなたの過去のすべての罪を赦してくださいました。 それは真実です。 私が救われた日、神は私の過去のすべての罪を赦してくださいました。 ところが、『一度救われたら、ずっと救われたままである』の教えは、「だから、あなたが今日犯しているすべての罪も、また、あなたが今後犯すことになるすべての罪も赦されたのだ」と主張するのです。 それが何を意味するか、おわかりでしょうか? それは、「私はもう罪について思いわずらう必要はない」ということを意味します。 それは、「私はもう従う必要はない」ことを意味します。 その現実と事実がどういうものかをみなさんにお話しさせてください。 その事実とは、私が救われた日に、私がこれまで犯してきたどんな罪からも私は救われたということです。 そこまでは私たちは同意します、100パーセント同意します。 それは真実です。 私は、もし私が悔い改めるなら、神は私の罪から私を赦してくださると理解しています。 ただし、罪に関しては、一つの問題点があります。 神はいつでもそれを問題視されます。 地獄は罪ゆえに創られたのです。 サタンは罪ゆえに地獄にいます。 そして、みなさんに考えていただきたいことがあります。 サタンは神にちょっかいを出しています。 神は地獄をお造りになり、サタンをそこに置いておられます。 アダムは罪を犯しましたが、神はあるご計画をお立てになりました。 神はご自分の御子イエス様をお送りになりました。 ただし、神のこのいつくしみを受けるためには、救われた後の罪については、人はそれを悔い改めなければならないのです。 ですから、この『一度救われたら、ずっと救われたままである』の教えは、完全なうそ(偽り)なのです。 すなわち、「そういうすべての罪、私が将来犯すことになるすべての罪についても、私はもう思いわずらう必要はない」という『うそ』です。 「思いわずらうな、あなたは伴侶をだまして浮気をしてもいい」 「心配するな、あなたは少し盗んでもいい」 「思いわずらうな、あなたはうそをついてもいい」 「それは構わない」 そういうものは、うそ(偽り)なのです。 私たちがだれにでも警告する必要があるのは、地獄のこの最大のうそについてです。 その最大のうそとは、「思いわずらうな、一度救われたら、ずっと救われたままである。今地獄にいる人々は、一度も救われたことがない者たちなのだ」というものです。 それはまさに、うそです。 そして、地獄には、このうそを信じている大ぜいのクリスチャンたちがいたのです! そういう人々の一人にならないでください! 聖書のみことばを調べてください。 何が真実であるかを見出してください。 |
●地獄の苦しみ 地獄にあるのは、あまりにも大きな苦しみです。 だまされた人々が、あまりにも多くいます。 彼らは地獄で目を開けた瞬間、本当にわかったのです。 それからずっと、彼らはそのことを知ってきたのです。 神が、あの滅んだすべての人々に責任を負わせられるのであれば、もちろん、地上のご自分の教会にいる人々にも責任を負わせられるようになります。 聖書は、神の裁きは神の家から始まると教えていないでしょうか? 神は愛しておられます。 神は愛しておられます。 彼は道を備えてくださいました。 憎しみを持っているのは、サタンです。 サタンは、憎しみを持っている者であり、あなたを地獄に連れて行きたいと思っているのです。 ルカ16:24〜28にこう書かれています。 これはイエス様が話しておられることです。
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●地獄の憎しみ 私が今みなさんにお話しするのは、私なりの考え方であることを確認しておきたいと思いますが、私は地獄にいた時、憎しみによって焼き尽くされたのです。 そこにあったのは、まさにそれでした。 私は、だれか他の人のことには関心がありませんでした。 私は人々が地獄に来ることを望んではいませんでした。 なぜなら、私は彼らの苦しみに自分もあずかりたくはなかったからです。 私は、その人々みんなの罪まで、この地獄の一部となってほしくはなかったのです。 私はこれ以上一人も地獄に来てほしくありませんでした。 そして私がとても当惑したのは、私がそこにいた間に、地獄が拡大するのを私が見ていたことでした。 それは大きくなりつつありました。 |
●自分の救いを失っていく大ぜいの人々 非常に大ぜいの人々が地獄に行くことになる日が来ようとしています。 大ぜいの信者たちが信仰から離れて行くようになることを、あなたは知っていたでしょうか? そのことが、まさに起ころうとしているのです。 それと同時に、大ぜいの人々が救われる大収穫が生じようとしています。 ただし、大ぜいの信者たちが信仰から離れることも生じます。 人が信仰から離れるためには、それまでは救われていた人でなければなりません。 そういう人々が、キリストの体なる教会から出て行きつつあるのです。 警鐘を鳴らしてください! 教会に警告してください! 神の裁きは神の家から始まります。 私たちは助けを必要としているのです。 私たちは大いなる助けを必要としているのです。 私はみなさんを愛しています。 私は人々を愛しています。 私はこれからも彼らに真実を語っていきます。 私は彼らに、イエス様が私に語られたことを語っていきます。 私は彼らに、この聖書に書かれていることを語っていきます。 なぜなら、人々が地獄に行こうとしているからです。 あらゆる種類の人々が、です。 人を地獄へと連れて行くのは、どういう罪でしょうか? そのリストは、たくさん、たくさん挙げることができます。 あなたはうそをつきますか? あなたは人をだましますか? あなたは盗むことをしますか? あなたは何らかの性的不道徳から抜け出すことができずにいますか? あなたは婚前交渉をしていますか? あなたは同姓のパートナーと性的行為をしていますか? あなたは結婚していながら、あなたの伴侶を裏切って浮気をしていますか? そういうすべてのものは性的な罪と呼ばれるものです。 そういう人は一人も天国に行くことはないことを、あなたは知っていますか? 一人も、一人も、一人も天国に行きません!! |
●すべての人に警告してください、手遅れになる前に!! 私はここで今みなさんを裁くつもりはありません。 私は裁判官ではありません。 私は今ここであなたに警告しているだけです。 聖書は、こう教えています。
行って、すべての人に警告してください!! 行って、すべての女性に警告し、すべての子どもに警告してください、手遅れになる前に!! それは遠い先のことではありません。 手遅れになるまで、長くあるわけではありません。 いくつかのみことばをお読みします。 私たちはこのことを知る必要があります。
まさにそのためにイエス様は来られたのです。 イエス様は私たちを救うために来られたのです。 私を救うために、あなたを救うために彼は来られたのです。 あなたは自分が本当に救われていることを確かなこととする必要があります。 あなたの救いを確かなものとしてください。 あなたの命は、このみことばに書かれていることを知ることに掛かっています。 それを他人任せにしないでください。 アーメン。 |
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