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ネストレ-アーラント版/UBS版聖書本文の検証
ヨハネ1・18

アリウス派の異端の教えへの改ざん事例

フロイド・ノレン・ジョーンズ博士

新約聖書本文TRの訳例
いまだかつて神を見た人は一人もいない。
 生まれたひとり子である御子、御父のふところにおられる方、その方が説き明かされたのである
TR 新約聖書

「未だかつて神を視(み)し者あらず、
 唯子(ひとりご)、父の懐(ふところ)におはす者、彼はこれを彰(あきら)かにし給へり」新契約聖書

「…the only begotten Son, which is in the bosom of the Father, he hath declared him」KJ

ネストレ版/UBS版聖書の訳例
「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである」

ネストレのギリシャ語本文の文字通りの読み方は、次のようになります。
「God,no man has seen never-the only begotten God, the One, being in the bosom of the Father, that One declared Him」(NAS・AMP・NIVも同様)
コメント
 「生まれたひとり子である御子」の代わりに、「生まれたひとり子なる神」とされています。
 これは、イエス様が創造されたひとりの神(god)、すなわち、より劣った小文字の"god"であって、永遠の方ではないことを意味します。
 この箇所のみことばは、イエス様の二つの御性質、すなわち、イエス様の人間としての御性質と彼の神性とを扱っています。一部の聖書はその一方を表しており、別の一部の聖書は、もう一方を表しています。
 イエス様が100パーセントその両者であるということを常に認識していないため、多くの人が混乱してしまっているのです。
 御子であることは、キリスト・イエスと関連して、常に彼の人間としての御性質に言及しており、神性には一度も言及していません。
 ひとりの人間としては、彼は誕生し、始まりがあり、一人の息子となられました(ルカ1・35、使徒13・33、詩篇2・7、ヘブル1・5、6、マタイ1・18〜25など)。
 しかし、創造者なる神としては、彼には「始まり」はなかったのです!
 「イエスは単なる被造物、より劣った神(god)である」とするのは、もともとアリウス派の異端の教えなのです!
 アリウス(紀元336年死去)は、この異端の教えを作り出した初期の「教会教父」でした。
 ローマ皇帝コンスタンティン一世とエウセビウスが、この教えを広めたのです。
(→ 聖書の歴史 C-6アリウス派であったエウセビウス」参照) 

 聖書は、神はおひとりであられ、三つの別個の位格(御父と御子と聖霊)においてご自分を啓示しておられると教えています。
 霊であられる神が御子となられたのは、堕落した人間をあがなうために死ぬという目的のためでした。
 そのことが起こった時、神は一人の御父として天にとどまっておられました。彼は一人の息子を「お生みになった」(命を分与された)からです。
 イエス様に関して最も重要な問題は、「彼は何を行われたか」ということではなく、「彼はどういうお方か」ということなのです!
 彼が人間の罪のためにご自分の血によるあがないを通して堕落した人間をあがなう、という彼の完成してくださったみわざは、非常に重要なことではありますが、彼のご人格と比べる時、それは二次的なものです。
 私たちが今述べているのは、教会がこれまで次のように宣べ伝えてきたことです。
 すなわち、「人々は自分の心と命をキリストにささげるべきであり、私たちは忠実に従い、彼をあがめて礼拝すべきである。なぜなら、彼は私たちの罪のためにご自分の命をお与えになったからである」と。
 しかし、私たちがこれらすべてのことを行うべきである理由は、何よりもまず第一に、彼がどういう方であるかによるのです。
 すなわち、彼が全能の神、創造者であられるからです!
 彼が神であられるゆえに、私たちは彼を礼拝すべきであり、しかも彼だけを礼拝すべきであって、彼が私たちのために何かをしてくださったからではないのです。
 彼は、彼ご自身のゆえに礼拝されるにふさわしいお方なのです!
 彼ご自身のご人格としての価値ゆえに、彼は人間の全存在と忠誠とを受けるに値するお方なのです。
 そして、その次に、二番目のこととして、彼がご自分からへりくだって肉の御性質を身に帯び、私たちのためにご自分を犠牲にしてくださったことへの感謝の思いから、私たちは彼に全き忠誠と全き愛と従順とをささげるべきなのです。
 聖書が御子としてのイエス様について述べている場合はいつも、一人の真の人間として地上で過ごされたあの三十三年間のことに言及しています。
 ただし、その間、彼はご自分が神であられることをやめられたことは一度もありませんでした。
 ですから、神は御子をお産みになったのです!
 すなわち、あの受肉よりも前に、処女マリアの卵子が超自然的に受精する(ルカ1・35)よりも前に、彼は、「神の御子」、「御父から生まれたひとり子である御子」となられたのです。
 すなわち、そういうすべてのことよりもであり、永遠の昔からです。
 イエス様はどういうお方であったのでしょうか?
 彼は、神ご自身の右におられるであられました。
 彼はいつもであられたのです。(ヨハネ1・1)
 神はひとりの霊であられます(ヨハネ4・24)。
 御父と御子と聖霊は、永遠の昔から、同じひとりの永遠の霊であられます。
 メシアなるイエス様は、こうして、天と地の創造者(その主要な名前がヤーウェ[エホバ]である旧約聖書の神)が肉において来られた方なのです。(イザヤ9・6参照)
 キリスト教は一神論です。私たちは三つの神々を信じているのではありません。ひとりの神が存在するのです(イザヤ43・10、11、44・6、8b、45・5、21、22、マルコ12・29〜33、ローマ3・30、第一コリント8・6、エペソ4・5、6、第一テモテ2・5、ヤコブ2・19)
 彼は、堕落した人間をあがなうために(そのご計画は、予知により、世界の土台が据えられるよりも前からありました)、三つの別個の位格においてご自分を啓示されたのです。
 主なるイエス・キリストの位格に関して、私たちはそのことを議論したり討論したりしているのではありません。
 私たちはそれを布告しているのです。
 ただし、キリスト教の多くの人々は、これらの基本的な聖書の教えについて知らずにいます。
 ギリシャ語の非TRの聖書本文は、そういうすべてのことを、その読み方によって否定しています。



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