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■古代の証言記録 第一ヨハネ5・7のみことばは、神の三位一体について明言している重要な箇所です。 現代の多くの"聖書"では、この箇所が削除されているため、このみことばを一度も読んだことがない人が少なくないかもしれません。 けれども、この箇所は、神が歴史を通じて保持してこられた神のことばです。 その重要なみことばとは、次の通りです。
この第一ヨハネ5・7のみことばへの言及は、使徒ヨハネが亡くなった後の紀元2世紀から見られます。(Johannine Comma (1 John 5:7) (1)テルトゥリアヌス(紀元155年〜220年) 彼は北アフリカのカルタゴ(現在のチュニジア共和国周辺)生まれの神学者であり、この箇所に言及し、こう述べています。
(2)キプリアヌス(紀元200年頃〜258年) 彼はカルタゴの司教であり、初期のクリスチャンの重要な著述家です。彼のラテン語の著作の多くは現存しています。彼は北アフリカ(おそらくカルタゴ)で3世紀初め頃に生まれました。キリスト教に改宗後、彼は249年に司教となり、最後はカルタゴで殉死しました。 キプリアヌスはこう述べています。
キプリアヌスはこの箇所を、ヨハネ10・30と第一ヨハネ5・7から引用しています。 『そして、この三者は一つです』という語句は、聖書の中で第一ヨハネ5・7以外のどこにも存在しません。 「こう書かれいます」とキプリアヌスが述べていることは、この第一ヨハネ5・7のみことばが、この第3世紀の時点で是認された写本の中に「書かれていた」ことを意味します。 すなわち、このみことばは、聖書の中に「書かれた」神の真のみことばなのです。 (3)プリスシリアン(紀元340年〜385年) 彼はスペイン人の司教でした。彼はこう述べています。
(4)イダシウス(紀元350年頃) 彼はスペイン人の高位聖職者であり、第一ヨハネ5・7のみことばに言及しました。 (5)アタナシオス(紀元350年頃) 彼はエジプトのアレクサンドリアの主教であり、こう言及しました。
(6)アウグスチヌス(紀元354年〜430年) 彼は北アフリカの都市ヒッポの司教であり、こう書いています。
彼は、紀元398年頃、サベリウス主義(異端)に対抗して三位一体の教えを擁護するために、第一ヨハネ5・7のみことばを用いました。("De Trinitate") (7)カルタゴの教会会議(紀元484年) この年、アフリカのカルタゴで、300人ないし400人の高位聖職者たちが集う教会会議が開かれました。 これより前、アリウス派(イエス・キリストの神性を信じない)の人々と北アフリカ出身の司教たちとの間で、論争が生じていました。 教会会議が召集されると、そのアフリカ人の司教たちの代表であるエウゲニウスが、第一ヨハネ5・7、8をはっきりと宣言しました。 司教たちは、キリストの神性を告白することの根拠としてこのみことばを用いました。約350人の司教たちを代表して、エウゲニウスはこう言いました。
(8)ビジリウス(北アフリカの司教) 彼は紀元450年頃の著書で、さらに480年頃の著書でも、第一ヨハネ5・7、8の箇所に言及しました。
(9)ビクター・ビテンシス(紀元485年:アフリカ人司教) 彼も同様のことを述べました。
(10)ワルドー派の聖書(紀元157年〜1400年頃) ワルドー派の聖書にもこの第一ヨハネ5・7が存在します。 セオドール・ベザによると、ワルドー派の教会は紀元120年頃にシリア・アンティオケの宣教者たちからみことばを伝えられて形成されました。(Peter Allix, The Ecclesiastical History of the Churches of Piedmont, (Oxford: Clarendon Press, 1821; 1st pub. 1690), p. 177. Which Version Is The Bible?,p.168) 彼らは紀元157年にギリシャ語のみことばを彼らのラテン語に翻訳しました。(Scrivener, A Plain Introduction, op. cit., Vol. II, p. 43.) この聖書は1500年代の宗教改革の時まで受け継がれました。 プロテスタントの人々はそのワルドー派の聖書をフランス語やイタリア語などに翻訳しました。 ジョン・ウェスレー(1703年〜1791年。メソジスト運動の指導者であり、イギリス国教会の聖職者)やジョナサン・エドワーズ(1703年〜1758年。アメリカ人聖職者)らは、ほとんどの宗教改革者たちと同様に、このワルドー派の人々が真のクリスチャンの子孫であることも、彼らが、聖書を信じる今日のクリスチャンのためにキリスト教信仰を保持してきたことも、信じていました。(《TRを継承したワルドー派の聖書》参照) (11)ラテン語写本 第一ヨハネ5・7のみことばは、ほとんどのラテン語写本に存在します。
ヒエロニムス(347年〜420年。ダルマティア[現在のユーゴスラビア周辺]生まれの聖職者)が翻訳した『ラテン語ウルガタ聖書』は、より一般的なラテン語の翻訳聖書であり、4世紀後半にカトリック教会によって委託されたものです。 古ラテン語写本とは、ヒエロニムスによる『ラテン語ウルガタ聖書』以前に存在した、ラテン語に翻訳されたさまざまな写本を表すために使われる用語です。 古ラテン語に翻訳された数々の写本は、2世紀後半頃以降に作られました。 (F. H. A. スクリブナー博士著 "A Plain Introduction to the New Testament Textual Criticism2, 4th Ed., Vol. 2) 550年頃のものとされる古ラテン語写本("r")の中に第一ヨハネ5・7が存在します。 スクリブナー博士によると、ラテン語ウルガタの50の写本のうち49の写本に、この第一ヨハネ5・7のみことばが存在します。(同書) |
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■この節が削除されたギリシャ語写本 ヒエロニムス(347年〜420年)は彼のラテン語ウルガタ聖書の新約聖書を作るにあたって、ギリシャ語の聖書を資料として使いました。 その作業のある時点で、彼は自分が見出した数々のギリシャ語写本から、第一ヨハネ5・7の三位一体の読み方が削除されていることに気付きました。 彼はこう記しています。
このように、ヒエロニムスは、彼の時代にこの節が数々のギリシャ語写本から削除されていることに特に言及したことがわかります。 さらにヒエロニムスはこう述べています。
フロイド・ノレン・ジョーンズ博士はこう述べています。
(参照→Michael Maynard, "A History of the Debate Over 1 John 5・7、8"、 A Defense of 1 John 5:7) |
■この節が削除された原因 ■サベリウス主義の影響 サベリウスは3世紀初め(紀元217年から220年頃)に登場したキリスト教異端者でした。 当時、ローマでは、神の三位一体を主張する正統派と、三位一体を否定する単一神論の人々の間で活発な論争がありました。 サベリウスは、神は単一神(三つの位格ではなく)であり、創造においては御父として、あがないにおいては御子として、聖別においては聖霊として、三つの働き(様態)において自らを表すと教えました。 ローマ教皇カリストゥス1世(紀元217年〜222年在位)は、初めはサベリウスの教えに同調的でしたが、後にそれを非難し、サベリウスを除名しました。(Sabellianism_Britannica) エドワード・フリーアー・ヒルズ博士(1912年〜1981年。アメリカ人の聖書学者)は、3世紀のサベリウスが唱えた理論であるサベリウス主義の影響を指摘して、こう述べています。
■エウセビウス・アリウス派などの影響 キリスト教会の初期に聖書(写本)を改ざんした人物としては、まずオリゲネス(紀元185年頃〜254年頃)が挙げられます。 オリゲネスは、「どこでもギリシャ語の新約聖書を見つけると、それを自分の教理にぴったり合うように改ざんした」聖書改ざん者でした。(オリゲネスとは?) オリゲネスの孫弟子のエウセビウス(紀元263年頃〜340年頃)は、「オリゲネスこそ最も偉大な人物」と考えていた人物でした。(《エウセビウスとは?》) 紀元331年、コンスタンティヌス帝からの指示を受けて『50冊の聖書』を用意した際、エウセビウスは、オリゲネスの改ざん聖書を使って完成させました。(《エウセビウスが作った50冊の聖書》) ヒエロニムスが『ラテン語ウルガタ聖書』(紀元405年)を作成する際に見出したギリシャ語写本で、第一ヨハネ5・7の箇所が削除されていたとされる写本は、エウセビウスが関与したものである可能性も否定できません。
エウセビウスは、異端のアリウス派であり、アリウス(紀元336年死去)の友人でもありました。 アリウスは、イエスは肉において来られた神ではないと信じていました。 そのような信念を持っている彼らにとっても、第一ヨハネ5・7は望まれない箇所であったはずです。 フレデリック・ノラン博士(1784年〜1864年)はギリシャ語およびラテン語の学者であり、優れた歴史家でもありました。彼はエジプトの年代学を研究し、28年を費やして、ギリシャ語の聖書本文TRの起源を使徒たちの時代にまでたどりました。 そのノラン博士の業績を引用して、F.N.ジョーンズ博士はこう述べています。
5世紀の教会歴史家ソクラテス(哲学者ソクラテスとは別人)は、「古代の翻訳者たち」が第一ヨハネの手紙(ギリシャ語)を改ざんしたことを証言しており、グノーシス主義(1世紀〜4世紀の異端)、マルキオン派(2世紀の異端)などの影響で聖書が改ざんされた可能性もあります。 歴史家ソクラテスは、改ざん者たちが、キリストの神性と人間性に関わる神学的な理由で第一ヨハネの手紙を改ざんしたことを述べています。
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■歴史的に保持されてきた第一ヨハネ5・7 ワルドー派の人々による聖書本文の継承 テルトゥリアヌス(紀元155年〜220年)、キプリアヌス(紀元200年頃〜258年)などの初期の多くの聖職者たちの証言があることや、紀元484年のアフリカのカルタゴにおける300人ないし400人の高位聖職者たちが集う教会会議でこの第一ヨハネ5・7のみことばが明確に宣言されたこと、さらに、紀元157年にワルドー派の人々がラテン語に翻訳した彼らの聖書の中にもこの第一ヨハネ5・7のみことばが含まれていることなどからも、このみことばが聖書の中に「書き記された」神の真のみことばであることが明らかです。 ただし、ヒルズ博士が述べているように、「第一ヨハネ5・7のみことばは、伝統的ギリシャ語本文の中には現れず、ラテン語ウルガタ聖書にある読み方でありながら、神の導かれる摂理の下でTR聖書本文(Textus Receptus)の中に組み込まれた」のです。 こうして、第一ヨハネ5・7のみことばの"流れ"を以下のように図示することができます。 すなわち、
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■19世紀の"改訂者"たちが行った第一ヨハネ5・7の消去 こうして明らかなように、第一ヨハネ5・7のみことばは、歴史を通じて保持されてきました。 ところが、1881年、この箇所が消された"WH本文"と"英語聖書RV"(またはERV)が、リベラル派およびユニテリアンの人々によって作り出されました。 そのWH本文を作ったのは、B.F.ウェストコットとF.J.A.ホートであり、二人とも降霊術者であり、秘密クラブの設立者でした。(→《聖書"改訂"委員会の主導者たち》参照) そして英語聖書RVを作ったのは、名目上は"聖書改定"委員会のメンバーたちでしたが、実際はリベラル派およびユニテリアンの人々が主導し、保守派あるいは正統派の人々の意見は票決によって退けられ、結局、ウェストコットとホートやスミスらの、リベラル派およびユニテリアンの人々が望んでいたものが作り出されたのです。
そうして1881年に登場したのが、リベラル派およびユニテリアン向けの"英語聖書RV"でした。 その"聖書"からは第一ヨハネ5・7のみことばは消し去られていました。 この第一ヨハネ5・7のみことばは、聖書の中で唯一、三位一体の教理を明言している箇所です。 ただし、それはリベラル派やユニテリアンの人々が否定する教理です。 彼らはイエス・キリストの神性を否定し(すなわち、イエス・キリストを神(の御子)とは信じない)、三位一体の教えも否定します。 さらに彼らは、イエス・キリストのあがないも聖書の霊感も否定します。 すなわち、聖書を聖霊による真の神のことばとは信じません。 リベラル派やユニテリアンの人々にとっては、この第一ヨハネ5・7のみことぱは、存在させたくないみことばです。 ●改訂者たちが行った第一ヨハネ5・7の消去 スミスは1881年に発行した自らの著書の44ページで、1870年から始まった『聖書改訂委員会』の改訂者たちが行った第一ヨハネ5・7の消去について説明しています。 改訂者らが行った"変更"は、次の通りです。 |
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■ギリシャ語の文法に違反しているWH本文! ウェストコットとホートが作ったWH本文は、本来の第一ヨハネ5・7が消し去られたために、ギリシャ語の文法に違反する文章になっています。 この箇所で、彼らがTR本文から《削除した部分》は、次の通りです。 "変更"されたこの箇所のWH本文は、次の通りです。《図2》↓ その結果、TR本文の中にある「御父」と「みことば」という「二つの男性名詞」も削除されたため、WH本文では「ギリシャ語の文法違反」が生じました。 トーマス・ホランド博士は、WH本文のような、本来の第一ヨハネ5・7が削除されたギリシャ語本文が、ギリシャ語の文法違反となっていることを、こう説明しています。
4世紀のナジアンゾスのグレゴリオスも、エドワード・フリーアー・ヒルズ博士やフロイド・ノレン・ジョーンズ博士等も、この箇所の文法上の矛盾を指摘しています。 マイケル・メイナード氏は著書の中で、「ナジアンゾスのグレゴリオスは第一ヨハネ5・7の削除に反対した」と結論付けています。("A History of the Debate over 1 John 5:7-8") 神の霊感によって書かれた真のギリシャ語本文に、ギリシャ語文法上の違反や矛盾はあり得ません。 ……………………………………………
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■第一ヨハネ5・7を保持する聖書・ 次に、この第一ヨハネ5・7を保持する聖書(TR本文に基づく聖書)と、第一ヨハネ5・7のみことばが消された"聖書"(WH本文に基づくもの)との訳文を対比させて見てみましょう。(UBS版/ネストレ版本文はWH本文に基づいています。黄色下線部が消されています)
こうして明らかなように、WH本文に基づく聖書にも、その本文を土台とするUBS版/ネストレ版本文に基づく聖書にも、三位一体を明記する第一ヨハネ5・7の次の部分が存在しません。
スミスが「KJ版聖書の7節は静かに除去され、それについては一言も述べられていない」と記した通り、 |
■神は保持され、認証された! これまで見てきたように、テルトゥリアヌス(紀元155年〜220年)も、キプリアヌス(紀元200年頃〜258年)も、プリスシリアン(紀元340年〜385年)も、アウグスティヌス(紀元354年〜430年)も、イダシウス(スペイン人の高位聖職者。紀元350年頃)も、ビジリウス(北アフリカの司教。紀元485年)も、ビクター・ビテンシス(アフリカ人司教)も、この第一ヨハネ5・7を読んで知っていました。 紀元484年のアフリカのカルタゴにおける教会会議に集った大ぜいの高位聖職者たちも、この第一ヨハネ5・7を読んで知っていました。 さらに、紀元120年に形成されたワルドー派の教会の人々もシリア・アンティオケの宣教者たちから、この第一ヨハネ5・7のみことばを伝えられて知っていました。 彼ら聖徒たちはみな、それが神の真のみことばであると知っており、信じており、告白していました。 こうして、使徒ヨハネが書き記した第一ヨハネの手紙(第一ヨハネ5・7を含む)の本文は、ワルドー派の教会の聖徒たちを通し、また、アフリカおよびスペインの聖徒たちを通して、ラテン語本文の中に保持されてきました。 そして1522年、このみことばはTR聖書本文(Textus Receptus)の中に組み込まれ、現代にまで伝えられています。 歴史の中で、この第一ヨハネ5・7のみことばを"消し去ろう"とするさまざまな改ざんの動きが生じましたが、神はご自分の摂理により、このみことばを現在に至るまで保持してこられたのです。 さらに、神の御子イエス・キリストは、このみことばを含むTR聖書本文を認証してくださいました。 (詳細は→イエス様が確証された ですから、人間の知性をはるかに超越した神の摂理のもとで、神の大いなる恵みにより、現代の聖徒たちも神のこの真のみことばを確信を持って読むことができるのです。
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●歴史U WH本文に由来する"聖書"
1 降霊術者らが作った改ざん"聖書" 2 リベラル派とユニテリアン向けの改ざん"聖書" 3 1ヨハネ5・7 保持する聖書・消された"改ざん聖書" 4 "一つの世界宗教"のための"一つの世界聖書" |
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