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『シナイ写本』と呼ばれる文書は、改ざんされたのです。 雪のような白色であったものが、薄黒くて染みのあるものになりました。 694ページ分の全部が、です。 ところで、そのようなことを行ったのは、だれでしょうか? あるいは、だれが、それを行ってもらわなければならなかったのでしょうか? あるいは、それを行った人のパートナーは、だれだったのでしょうか? ■真っ白であったシナイ写本! 1844年から1850年までの間、シナイ写本のすべては真っ白でした。 すべてとは、すなわち、『70人訳』と呼ばれる旧約聖書、旧約聖書の外典(アポクリファ)、新約聖書、『バルナバの手紙』、『ヘルマスの牧者』です。 どれも明らかに白色でした。 それらは白色であると目撃されており、白色であると記述されているのです。 そのうちの二つの分割部分(シナイ写本には複数の分割部分[セクション]があります)は、1844年にティッシェンドルフによって持ち去られ、最終的にはザクセン王国の王フリードリヒ・アウグスト2世のもとに行きました。 現在、それは、現代のドイツのライプチヒにあります。 そして、これを見てわかるように、この『フレデリコ・アウグスタヌス写本』(CFA)は今日に至るまで白色です。 ■ロシアのポリフィリ・ウスペンスキー主教の証言 その翌年の1845年、ロシアのポリフィリ・ウスペンスキー主教が、シナイ半島にある聖カタリナ修道院を訪れて、残りのシナイ写本を見ました。 そして、それが白色であると記述しました。
それから1850年、彼はまた訪れました。 それは依然として白色でした。 1856年および1857年に発行された彼の旅に関する彼の二冊の著書の中で、彼はその事実を公表しました。その内容は、1844年から1850年までのことを扱っています。 ライプチヒは今でもドイツにあるので、たぶん人々はその『フレデリコ・アウグスタヌス写本』(CFA)がとても白いのを見て、シナイ写本全体も白いのだと思ったはずです。 ■二人の著者の証言
「雪のように白いもの」でした! しかし、一つだけ問題があります。 そういうものではなくなったのです! ■薄黒い、黄ばんだものとなったシナイ写本! 1859年以後、それは確かに薄黒いものとなったのです。 ティッシェンドルフがそれを入手した後で、そうなっているのです。 《ティッシェンドルフ》
こうして、シナイ写本の大きい方の部分(CFA以外のシナイ写本)を実際に見た人々は、それが黄色であると考え、ティッシェンドルフが所有するようになった時より前に見た人々は、すなわち、ドイツにある『フレデリコ・アウグスタヌス写本』(CFA)だけを見た人々は、それが雪のように白いと述べたのです。 そして、すぐにザクセン王国(現代のドイツ国内)の王に送られたこのCFAは、当時(1844年)も現在も白色なのです。 ■人々が気付かなかった原因 人々はドイツにあるこのCFAというシナイ写本の一部を見ることはできましたが、はるか遠くのロシアにあるその残りの部分は見ることができませんでした。 「シナイ写本の全体も同じように見えるはずである」ということに人々が疑いを抱く理由は何もありませんでした。 こうして、雪のように白いCFAを見た人々はだれも、「それは全部白いのだ」と想像し、シナイ写本のその残りの部分を見た人々、すなわち、ティッシェンドルフがずっと時間をかけてきたものを見た人々は、「それは全部黄ばんでいて薄黒く、染みが付いているのだ」と想像したのです。 シナイ写本の色に関して、同時期に二組の人々が二つの異なる色について書いていたのです。 ところが、この異なる色の記述のことに、だれも気付きませんでした! なぜなら、つい最近になって、シナイ写本の数々の分割部分(シナイ写本には複数の分割部分があります)として知られているものを、だれかがすべてを統合してくれたため、私たちはそれらを私たち自身の目で見ることができるようになったからです。 ■ティッシェンドルフは知っていた !! 1844年から1850年まで、それは白色でした。 ところが、 1862年、それは薄黒いものとなっていました。 ティッシェンドルフは、1859年にシナイ写本の大きいほうの部分を入手しました。 彼があのCFAを1844年に聖カタリナ修道院で入手した際、彼が手に入れたのは、自分が見たものの三分の一だけであった、と彼は言っています。 したがって、もしだれか他の人物がシナイ写本を薄黒くしていたのなら、ティッシェンドルフは気付いたはずです。 なぜなら、それは、自分が1859年に入手した聖書のページの一部だったからです。 その時、彼は非難の声を上げることができたはずです!
ティッシェンドルフは、シナイ写が本当は雪のように白いことを知っていたにちがいありません。 彼自身が、1844年に自分は43の皮紙だけでなく、別の86の皮紙も見たと言ったのです。 それらは、彼が1859年に聖カタリナ修道院から持ち帰ったものの一部でした。 つまり、考えられるのは、次の二つのうちの一つです。
■隠されてきたことの露呈 ところで、これを全く別の視点から見てみましょう。 神は、隠されている数々のことをどのように扱われるでしょうか?
また、イエス様はマタイ10・27でこう言われました。
イエス様が神にどういうことを感謝されたかを思い起こしてください。
おわかりでしょうか? これが神のパターンです。
■ローマ法王にこびへつらったティッシェンドルフ ティッシェンドルフという人物のことについて研究する人はだれも、彼はプライドがあり、声が大きく、一人のプロテスタントでありながら、ローマ法王にこびへつらった人物であったと気付くはずです。 彼には、彼自身の『究極の目標』というようなものがあったようです。 バチカン写本と呼ばれるものです。 彼は長年にわたり、カトリックの指導者たちのために尽くしました。 それで彼らは法王に手紙を書き送り、「ティッシェンドルフはそれ(バチカン写本)を見るにふさわしい者です」と書きました。 シナイ写本とバチカン写本には共通していることがあります。 伝えられるところによれば、それらはどちらも、修道僧たち、あるいは、カトリック教徒たちの管理下にあり、何世紀にもわたって、一般のクリスチャンたちからは隠されてきました。 このことは、「神はご自分のことばを保持されるという神の約束の成就である」というように聞こえるでしょうか? 隠れた場所に保持されてきた、のでしょうか? 秘密にして、でしょうか? 2000年近くもの間、民から離して、でしょうか? そして、人々がそれらを得ることのできる方法は、修道士たちなどに頭を下げたり、王たちや法王のために尽くすことしかないというのでしょうか? 私には、それが正しいことであるようには決して聞こえません。 ティッシェンドルフの「発見」と言われるものによって、彼は神の御前にひざまずくように導かれたでしょうか? ティッシェンドルフは純粋な認罪から神の御前にひれ伏したことがあったでしょうか? 彼は残りの人生で、そのような「発見」に感謝して、福音を広めたり、十字架に付けられたキリストや、恵みにより信仰を通しての救いを宣べ伝えたりしたでしょうか? そうではありませんでした。 彼は依然としてプライドのある人でした。 彼か、あるいは、彼の知っている何者かが、彼の持っていたシナイ写本の数々の部分を、それらが古いもののように見えるように薄黒くしたのです。 彼はそのことについて偽りを言いました。 彼は、数々の写本を借りたり、買ったり、盗んだりする陰謀に従事したのです。 もちろん、彼が自分でそれらの写本を偽造したのでなければ、です。 そういうことは、『信仰の人』のする行いではありません。 私は、「コンスタンティン・ティッシェンドルフがこの本文に何かを行い、そのことを彼は決して認めなかった」と信じるようになりました。 しかも、彼の周囲のだれも、そのことを認めませんでした。 ですから、彼がすでに行っていたことを彼らのうちのだれかが実際に見る前に、そのことが起きていたのかもしれません。 彼は、その二つの部分をいっしょに見せないようにし、そして、1859年以前にそのすべてを見たことのある人の信用を落とすだけでよかったのです。 そして、彼はまさにそのことを行ったのです。 そして、それはうまくいっていました。 ただし、ほんの数年前までは、です。 しかし、覚えておいてください、たとい世界中の本文批評学者や教師や牧師がみな、それと反対のことをみなさんに語ってきたとしても、私が今みなさんに示したこの真実が今や明らかになりつつあります。 恐れないでください、イエス様はマタイ10・26でこう言われました。
私はシナイ写本を信用することはできません。 ただし、覚えておいてください、私がシナイ写本を信用することができないとすれば、私は市場に出回っているほとんどの聖書も信用することができないのです。 つまり、KJ版聖書等の歴史的に保持されてきた聖書以外の聖書は、私は信用することができないのです。 (https://www.youtube.com/watch?v=LJUusrUcE_oより) |
バチカン写本/シナイ写本に由来する新約聖書 | ||
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《ネストレ-アーラント版/
UBS版聖書本文》 ↓ 『聖書 新改訳2017』 |
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●歴史Q 偽造された写本
1 偽造写本の"出現" 2 白いシナイ写本・ 3 だれがシナイ写本を 4 色付けされたシナイ写本 5 シナイ写本の意図的な削除 6 偽造写本『2427』の正体 7 ティッシェンドルフが持ち去った 8 ティッシェンドルフに抜き取られた 9 シナイ写本・バチカン写本_ 10 バチカン写本・シナイ写本の構成 11 外典を含むバチカン写本・シナイ写本 12 マルコ16・9〜20が無い写本 13 2写本の検証1 14 2写本の検証2 |
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聖書の歴史V 偽造写本から"ねつ造"された |
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