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●新約聖書の本文の摂理的保持 宗教改革者たちは、「ただ彼(神)のケアと摂理により」(「フィラデルフィア告白」を参照)、聖書の原文の言葉づかいが保持されてきたことを信じていました。 エドワード・ヒルズ博士はこう述べています。
このすべてのことは、D・O・フラー博士の次のことばをもって要約することができます。
●聖書を保持された神の方法 神が最初に聖書をお与えになった際、その言語としてヘブル語(旧約聖書)とコイネー(共通の、共通語としての)ギリシャ語(新約聖書)をお選びになったことで、神の知恵と予知と御力が明らかです。 どちらの言語も、それぞれの正典が確立されてから数百年以内に「死んだ言語」となりました。 そのことにより、それらの語は、「時間の中で凍結した」のです。 それらの語もその意味も、どれ一つとして変化することはあり得ません。 それらの言語は、ラテン語のように、削除することも付加することもできない「死んだ言語」となったのです。 それとは対照的に、英語は「生ける言語」であり、新語が絶えず付加されており、古語は流動的な状態にとどまっています。 意味は変更することもあれば、新たな別の意味合いを帯びることもあります。 ●旧約聖書の本文が保持された方法 旧約聖書の時代、レビ族の祭司たちが神の生けることばを書き写して保持しました。 どの書であろうと、その筆記者はレビ族に属していました(マラキ2・7、申命記31・25、17・18)。 祭司エズラもイスラエルの筆記者でした(エズラ7・1〜11)。 聖書本文を保持するこの方法は、このうえない成功を収めました。 このことは、主なるイエス様が、モーセの時代から彼の時代までの1500年間に「一点あるいは一画も」変更されていないことを証言された通りです(マタイ5・18)。 「死海写本」のイザヤ書は、ヘブル語のマソラ本文と合致しています。(マソラ本文は、発音を補助するための母音符号の付いたヘブル語旧約聖書です) 現存するマソラ本文で最古のものは、紀元900年ごろのものです。そして、そのイザヤ書には、変更されている箇所がほとんど全くないのです。 実際に、そのマソラ本文こそが真の本文であり、死海写本ではありません。死海写本のほうが千年以上も古いものであるのに、そうなのです。 「死海写本」は、それを守るようにと神から任務を与えられたユダヤ人たちによって書かれたものではありません。彼らはレビ族に属してはいませんでした。彼らはエッセネ派(禁欲主義のユダヤのカルト)であり、彼らの教義は異端の教えで満ちていました。 同様に、「七十人訳旧約聖書」の数々の写本も、それらの間でもかなり重大な相違が見られ、また、多くの箇所でマソラ本文とも合致していません。 ●新約聖書の本文が保持された方法 しかし、新契約においては、キリスト・イエスにおける新生を通して、すべての人が祭司となります。 神は、信者たち(信徒たちも長老たちも含む)から成る祭司制度の手の中に、新約聖書の本文をお与えになりました。 初代のクリスチャンたちは、それを書き写して保持しました。 初代のクリスチャンのほとんどは、裕福ではありませんでした。彼らが書き記した「紙」は、現在の新聞紙に匹敵するようなものでした。 ほとんどの人は熟練した学者や筆記者ではありませんでしたが、彼らは心からの畏れをもって書き写しました。 彼らは、「神のことばに付け加えたり、それから削除したり、それを改ざんしたりする者の上には、呪いが生じる」と神が四度も警告しておられることを知っていました(申命記4・2、箴言30・5、6、詩篇12・6、7、黙示録22・18、19)。 信者であるなら、聖書を意図的に改ざんすることは決してしないはずです。 なぜなら、これらの箇所のみことばが告げている「呪い」を信じているはずだからです。 真の本文を意図的に変えようしたのは、それらの警告を信じない「冒涜者」だけであったはずです。 これらの箇所が述べているのは、文脈からすると、偶然の誤写のことではなく、意図的改ざんです。 新約聖書を写した書記者たちは、可能な限りに注意して念入りに書き写しました。 というのも、彼らは、「これは、『神が息を吹き込まれたもの』である」と心から信じていたからです。 彼らは皇帝たちによる激しい迫害の中でも、主なるイエス様につき従う決意をしていたのです。 書記者たちの中には、自らの命や家族の命まで犠牲にした者も多くおり、十字架刑に処せられたりライオンの餌食にされても、その献身を守り通したのです。 ●保持されてきた神のことば 神は、「十戒」が書かれた最初の石板(また二番目の石板も)を破壊することを、よしとされました。 また、神は、エレミヤに与えられ、バルクが書き記した原本の巻物を、悪王エホヤキムが切り裂いて燃やすのを許容されましたが、同時に、その最初の本文を誤りなく保持されました(エレミヤ36・22、23、32)。 「神は、ご自分のことばを保たれる」という神の多くの約束を確かに信じる私たちは、神がモーセにお与えになったのと正確に同じ十の「生けることば」を、私たちもすでに持っていることを知っているのです。 たとい新約聖書の原本が発見されたとしても、それにはTextus Receptus(テクストゥス・レセプトゥス)の中に保持されてきたのと同じ「読み方」が記されているはずであることを、私たちは信仰によって知っているのです。 今日存在する「神のことば」とは、神が保持してこられた聖書であって、その原本ではありません。 というのも、神はご自分のことばを永遠に保持されると約束されたからです。 神ご自身が約束された通り、全く誤りのない、生ける神のことばを、私たちはこれまでずっと持ち続けてきたのです! ………………… (注1)Hills,"The King James Version Defended",p.225 (注2)Fuller,"Which Bible?",p.147 |
《出典 : Floyd Nolen Jones,"Which Version Is The Bible?"[2006年] 》
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■さらに深い理解のために(英語)… フロイド・ノレン・ジョーンズ博士の著書 → Which Version Is The Bible?[2010年版] p.1~,10~,170~,181~[PDFファイル] 聖書の保持について → Bible Preservation → 聖書の保持/写本について W・マクレアン師 Rev. W. MacLean (1983)によるギリシャ語聖書本文の摂理的保持について → THE PROVIDENTIAL PRESERVATION OF THE GREEK TEXT OF THE NEW TESTAMENT |
聖書の歴史 次へ(A-4) |
●歴史A 神が保持してこられた聖書 1 神が保持してこられた聖書 2 聖書に関して神ご自身が約束しておられること 3 聖書を保持された神の方法 4 ヘルベチカの合意・フィラデルフィア告白 |
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