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● J.C.ヘボン(James Curtis Hepburn 1815 ~ 1911年)は、中国および日本への宣教師であり、「ヘボン式ローマ字」の創始者としても有名です。
S.R.ブラウンとともに主導して発行した『明治元訳聖書』は、彼が日本に遺した偉大な霊的遺産です。 《ヘボンの生涯》 ■1815年、アメリカ・ペンシルバニア州にて生まれる。 ■1841年、中国に医療宣教師として赴任。 その後、シンガポールにてS.R.ブラウン宣教師と出会い、ギュツラフ訳の「ヨハネの福音書」も見出す。 ■1845年、妻の病気のため、アメリカに帰国。 ■1859年(安政6年)十月十八日、44才の時に来日。神奈川県の成仏寺に三年間滞在(S.R.ブラウン、ゴープルとともに)。(1871年、ゴーブルは『摩手(マタイ)福音書』(カタカナ書き)を発行) ヘボンは来日して住居を見つけるまでの苦労を後にこう述べています。
■1861年より、ヘボンはS.R.ブラウン[1810~1880]とともに新約聖書の翻訳を進める。 ■1863年、横浜に無料の診療所を開院。 11月、彼の妻(クララ・M・リート)が英語を教えるヘボン塾を開く。高橋是清(後に総理大臣となる)、林董(外務大臣、逓信大臣)、益田孝(三井物産初代社長)らを輩出。 ■1864年、ヘボンにより最初のトラクトが発行される。それより少し前に、彼はこう述べている。
その後、彼が初期に用意したトラクトは、『十戒』、『主の祈り』、『使徒信条』など。 (キリスト教の布教が解禁になったのは、それから約十年後の1873年[明治6年]) ■1867年(慶應3年)、「和英語林集成」(日本最古の和英・英和辞典)を発行。 ■1872年(明治5年)、「新約聖書馬可傳(マルコ伝)」・「新約聖書約翰傳(ヨハネ伝)」 (訳者: ヘボン、ブラウン 木版刷りでの出版)を発行。 ■1873年、「新約聖書馬太傳(マタイ伝)」(同)を発行。 ■1874年、横浜指路教会を設立。(牧師は宣教師H.ルーミス) ■1877年、「東京一致神学校」をブラウンらとともに設立。後に『明治学院』となり、初代総長を務める。 【参考】 → ★「明治学院」と「東京一致神学校」
■1880年、「明治元訳 新約全書」(TR準拠 )発行(ヘボンが旧約聖書の委員長、ブラウンが新約聖書の委員長、ほかに、グリーン、奥野昌綱、高橋五郎、松山高吉らも加わる)。■1880年、「SHINYAKU ZENSHO」(ローマ字表記の新約聖書)を発行。 ■1882年、旧約聖書翻訳委員会の委員長に任じられる。 ■1887年、『明治元訳 旧新約全書』発行。 ■1892年、『聖書辞典』を山本秀煌(ひでてる)とともに発行。 ■1906年、ヘボン夫人が88歳で死去。 ■1911年、J.C.ヘボン死去。 |
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●歴史Q 偽造された写本
1 偽造写本の"出現" 2 白いシナイ写本・ 3 だれがシナイ写本を 4 色付けされたシナイ写本 5 シナイ写本の意図的な削除 6 偽造写本『2427』の正体 7 ティッシェンドルフが持ち去った 『シモニデス写本』 8 ティッシェンドルフに抜き取られた シモニデス氏の写本 9 シナイ写本・バチカン写本_ |
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