●『告解』と罪の赦しに関する改ざん
★ヤコブ5・16
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- 「あなたがたは互いにあやまちを告白していなさい。
そして、互いのために、いやされるように祈っていなさい」(TR 新約聖書)
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- 「ですから、あなたがたは癒やされるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい」(新改訳 2017)
- 「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい」(聖書協会 新共同訳)
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「あやまち」(過失、まちがい、ミス)が「罪」に『置き換え』られています。
この両者は異なるものです。WH/UBS/NA本文に基づく聖書のことばに忠実に従う人々は、自分で罪の悔い改めの祈りをするだけではいけないことになり、だれか人間に自分の罪を言い表さなければならい、告白しなければならないことになります。
ローマ・カトリック教会で行われている『告解』では、信者は『告解室』に入って司祭や神父に自分の罪を告白し、人間を通して神の赦しを受けられるとされています。
しかし、使徒ヨハネはこう教えています。
「もし私たちが自分の罪を告白するなら、彼は忠信で正しい方であられ、私たちに対してそれらの罪を赦し、私たちをどんな不義からも清めてくださいます」(第一ヨハネ1・9)
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すなわち、神に自分で罪を告白すれば、すぐにその場で赦していただけるのです。
したがって、だれにも自分の罪を言い表したり、告白したりする必要はありません。
WH/UBS/NA本文に基づく聖書のヤコブ5・16は、そういうローマ・カトリック教会の『告解』を支持しているかのように改ざんされています。
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