●汎神論を教えている改ざん聖書
★エペソ4・6
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- 「万物の父なる神、すなわち、万物の上におられ、万物を貫いておられ、あなたがたすべての内におられる方は、ひとりです」(TR 新約聖書)
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- 「すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神はただひとりです」(新改訳 2017)
- 「すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます」(聖書協会 新共同訳)
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「あなたがた」という一語が『削除』されており、それだけで、この節は「汎神論」(はんしんろん)を教えることばに一変します。
汎神論とは、「すべてのものの内に神が宿っている」という思想・哲学です。
WH/UBS/NA本文に基づく聖書の訳文は、神がすべての人の内にいて、神が世界のすべての人の父であるという理解を可能にしています。
事実、このことばを用いて、この汎神論を説いている日本人の聖職者がいます。
彼はホームページで、エペソ4・6の「すべてのものの父である神は…すべてのものの内におられます」というWH/UBS/NA本文に基づく聖書の訳文を使って、こう教えています。
- 神は、すべての被造物の内に住んでおられる。
- 私たちは、目の前にいる誰かの存在の深みに神の存在を感じることができる。
- 私たちは、すべての被造物と一つに結ばれていく。
この人はイエス・キリストとの関連については何も述べることなしに、この思想・哲学を説いています。
それは聖書の教えでは全くありません!
これは、ヒンズー教などが教えていることであり、人は神と一つになることができるというニューエイジの教えとも共通点があります。
◆真の聖徒ではない人々の父…悪魔
神は、すべての人の内にいて、世界のすべての人の父なのでしょうか?
そうではありません。
神の御霊は、未信者やリベラル主義者、真の聖徒ではない人々の内には住んでおられません。
では、未信者やリベラル主義者、真の聖徒ではない人々の「父」は、だれでしょうか?
それらの人々について、聖書はこう教えています。
「あなたがたは、悪魔という父に属しており、あなたがたのその父の欲望を行うことを願っているのです」(ヨハネ8・44)
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◆真の聖徒たちの父…神
しかし、真の聖徒たちについては、そうではありません。
『TR 新約聖書』のエペソ1・1と4・6を並記すると、明らかです。
「神のみこころによるイエス・キリストの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにある忠信な聖徒たちへ」(エペソ1・1)
「万物の父なる神、すなわち、万物の上におられ、万物を貫いておられ、あなたがたすべての内におられる方は、ひとりです」(エペソ4・6)
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こうして明らかなように、エペソ4・6の「あなたがた」とは、この『エペソ人への手紙』の宛先の人々である「エペソにいる、キリスト・イエスにある忠信な聖徒たち」(エペソ1・1)のことです。
このような忠信な聖徒たちこそが、神が「内におられる」人々であり、神の御霊が内住しておられる人々なのです。(第一コリント3・16、6・19参照)
「あなたがたは神の宮であり、神の御霊があなたがたの内に住んでおられることを、知らないのですか?」(第一コリント3・16、)
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◆キリストの御霊を持っていない人々
けれども、キリストの御霊を持っていない人々もいます。
「あなたがた(御霊にしたがって歩んでいる人々)は、肉の内にいるのではなく、御霊の内にいるのです。
ただし、もし神の御霊があなたがたの内に住んでおられるならばです。
だれかがキリストの御霊を持っていないなら、その人は、その方のものではありません」(ローマ8・9)
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すなわち、「キリストのもの」ではない人は、キリストの御霊、神の御霊を持っていない人です。
「世」と呼ばれる人々、イエス・キリストを受け入れていない人々は神の御霊を持っていません
「真理の御霊です。
世が受けることのできない方です。
世はその方を見ることはなく、その方を知ることもないからです」(ヨハネ14・17) |
さらに、「クリスチャン」「キリスト教徒」と呼ばれる人々の中にもいます。
「御子を否定する者はみな、御父をも持っていません。
御子を告白する者は、御父をも持っています」(第一ヨハネ2・23)
「彼の数々の命令を守っている者は彼の内にとどまっており、彼もその人の内にとどまっておられます」(第一ヨハネ3・24)
「だれでもイエス様が神の御子であられると告白するなら、神がその人の内にとどまっておられ、その人も神の内にとどまっています」(第一ヨハネ4・15)
「わきにそれて、キリストの教えの内にとどまっていない者はみな、神を持ってはいません。
キリストの教えの内にとどまっている人、その人こそ、御父をも御子をも持っているのです」(第二ヨハネ9)
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◆神が内におられる人・おられない人
ユダ書からも、神が内におられない人、神の御霊を持っていない人のことがわかります。
「この者たちは、自分を区別する者たち、生まれながらのたましいによる人たちであって、御霊を持ってはいない人たちです」(ユダ18、19)
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「この者たち」とは、このユダ書の中で述べられている人々のことです。
たとえば、こう書かれている人々です。
- 「不敬虔な者たち」、「神の恵みを放縦に変えている」人々、「唯一の主であられる神と私たちの主なるイエス・キリストとを否定している者たち」(4節)
- 「自分がわかっていないことを罵っている」人々(10節)
そういう人々は、御霊を持ってはいない人たちであり、「彼らに対しては、あの暗黒の闇が永遠に保持されています」(13節)
まとめると、こうなります。
- 神が内におられる人…
- イエス様が神の御子であられると告白する人
- 神の数々の命令を守っている人
- キリストの教えの内にとどまっている忠信な聖徒たち…など
- 神が内におられない人…
- 唯一の主であられる神と私たちの主なるイエス・キリストを否定する人々
- キリストの教えの内にとどまっていない人々
- 神の恵みを放縦に変えている不敬虔な人々
- 自分がわかっていないことを罵っている人々…など
◆エペソ4・6の改ざん本文から生まれる汎神論
汎神論は、「すべてのものの内に神が宿っている」という思想・哲学であり、WH/UBS/NA本文に基づく聖書のエペソ4・6の訳文は、神がすべての人の内にいて、神が世界のすべての人の父であるという理解を可能にしています。
それは、本当の聖書の教えではなく、ヒンズー教やニューエイジなどの思想・哲学です。
神は、キリスト不信者の内にも不敬虔な人々の内にも住んでおられません。
神はどういう人々の内に住んでおられるのでしょうか?
- イエス様が神の御子であられると告白する人
- 神の数々の命令を守っている人
- キリストの教えの内にとどまっている忠信な聖徒たち
そういう真の福音信仰者たちの内にのみ、神は住んでおられるのです!
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