●(続)異教の教えのための改ざん
★ヨハネ6・47
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- 「まことに、まことに、あなたがたに言います。
私を信じている人は、永遠の命を持っています」(TR 新約聖書)
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- 「まことに、まことに、あなたがたに言います。
信じる者は永遠のいのちを持っています」(新改訳 2017) - 「はっきり言っおく。
信じる者は永遠の命を得ている」(聖書協会 新共同訳)
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「私を」が『削除』されています。
これも、どの宗教や団体でもそれぞれの都合に合わせて、「我々の神を、あるいは、我々の教えを信じる者は永遠のいのちを持っている」と適用させることを可能にしています。
★ガラテヤ6・15
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- 「なぜなら、キリスト・イエスにあっては、割礼も無割礼も何も力がなく、新たな創造が力があるからです」(TR 新約聖書)
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- 「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。
大事なのは新しい創造です」(新改訳 2017)
- 「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです」(聖書協会 新共同訳)
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「キリスト・イエスにあっては」が『削除』されています。
この改ざんされた文の中の「大事なのは新しい創造(新たな被造物)です」を利用して、人はさまざまな手段により、「新たな被造物」になろうとするかもしれません。
たとえば、ヨガ、東洋の瞑想、宗教儀式などによってです。
けれども、人が本当に「新たな被造物」になることは、「キリスト・イエスにあって」のみ可能であり、それ以外にはどんな方法もありません。
改ざん聖書は、この要(かなめ)である要素を削除しています。
★黙示16・17
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- 「そして第七の御使いが彼の鉢を空中に注ぎ出した。
すると、天の聖所から、御座から、「それは実現した」と告げる大きな声が聞こえてきた」(TR 新約聖書)
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- 「第七の御使いが鉢の中身を空中に注いだ。
すると大きな声が神殿の中から、御座から出て、「事は成就した」と言った」(新改訳 2017)
- 「第七の天使が、その鉢の中身を空中に注ぐと、神殿の玉座から大声が聞こえ、「事は成就した」と言った」(聖書協会 新共同訳)
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「天の」が『削除』されています。
この語を削除することにより、神の裁きが天国におられる神に由来するものであるという事実を排除しています。
この語を削除するなら、地上の、どの宗教や団体の神殿や聖所でも、適用が可能となります。
たとえば、ゼウスの神殿でも、ダイアナの神殿でも、です。
★ピリピ3・16
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- 「ただ、私たちが先に達したところに向かって、同じ規準できちんと歩み、同じ思いでいることです」(TR 新約聖書)
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- 「ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです」(新改訳 2017)
- 「いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです」(聖書協会 新共同訳)
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「同じ規準できちんと歩み、同じ思いでいる」が「基準にして進む」に『置き換え』られています。
さまざまな思想や信念の宗教や団体を包含するエキュメニズムを目指すローマ・カトリック教会にとっては、「同じ規準できちんと歩み、同じ思いでいる」という語は不都合であるにちがいありません。
この語は重要であるゆえ、ここに記されているのです。
それなのに、WH/UBS/NA本文に基づく聖書では、この重要な語句が読めません。
★第一コリント3・3
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- 「なぜなら、あなたがたがまだ肉的な人たちだからです。
なぜなら、あなたがたの間に、ねたみや争いや分裂があるとすれば、あなたがたは肉的な人たちであり、ただの人間として歩んでいるのではありませんか?
」(TR 新約聖書)
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- 「あなたがたは、まだ肉の人だからです。
あなたがたの間にはねたみや争いがあるのですから、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいることにならないでしょうか」(新改訳 2017)
- 「相変わらず肉の人だからです。
お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか 」(聖書協会 新共同訳)
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「分裂」だけが『削除』されています。
この語も、さまざまな宗教や団体の違いを受け入れるエキュメニズムのためには不都合なことばであるはずです。
★使徒10・6、32
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- 「この人(ペテロ)は、皮なめし職人のシモンという人のところに泊まっており、その人の家は海辺にあります。
この人が、あなたが何をしなければならないかを、あなたに話します」…
それゆえ、ヨッパに人を送り、ペテロと称されているシモンを呼び寄せなさい。
この人は、海辺の、皮なめし職人のシモンの家に泊まっています。
彼は来てから、あなたに話します」(TR 新約聖書)
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- 「その人は、シモンという皮なめし職人のところに泊まっています。
その家は海辺にあります。…
だから、ヤッファに人を送って、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。
この人は海辺にある、皮なめし職人のシモンの家に泊まっています」(新改訳 2017) - 「その人は、皮なめし職人シモンという人の客になっている。シモンの家は海岸にある
。…
ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、海岸にある皮なめし職人シモンの家に泊まっている」(聖書協会 新共同訳)
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「この人が、あなたが何をしなければならないかを、あなたに話します」と「彼は来てから、あなたに話します」が『削除』されています。
異邦人のコルネリオはペテロから何を聞く必要があったのでしょうか?
「御使いは立って、彼にこう言ったのです。
『…彼(ペテロ)はあなた(コルネリオ)に対し、それによってあなたとあなたの全家族が救われることばを話します』」(使徒11・13、14)
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すなわち、コルネリオは救いのメッセージを聞かなければなりませんでした。
なぜなら、彼は救われる必要があったからです。
エキュメニカル運動に参加するさまざまな宗教や団体の人々は、かつてのコルネリオと同じように、救われてはなく、イエス・キリストの福音を聞いて信じ、救われる必要があります。
そうしなければ、彼らはみな、天国にではなく地獄に行くことになります。
けれども、上記の赤色の部分を消し去ることにより、そのような必要性を消去しています。
キリスト不信者たちは、異邦人がイエス・キリストの福音を聞く必要性を認めないのです。
★第二テモテ1・11
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- 「この福音のために、私は、宣べ伝える者として、また使徒として、また異邦人のための教師として任じられたのです」(TR 新約聖書)
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- 「この福音のために、私は宣教者、使徒、また教師として任命されました」(新改訳 2017)
- 「この福音のために、わたしは宣教者、使徒、教師に任命されました」(聖書協会 新共同訳)
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「異邦人のための」が『削除』されています。
これも、異邦人にイエス・キリストの福音を聞く必要性を認めさせまいとする改ざん事例です。
★ローマ1・16
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- 「なぜなら、私はキリストの福音を恥としてはいないからです。
なぜなら、それは、ユダヤ人を初めとしてギリシャ人にも、信じているどの人にとっても、救いに至らせる神の御力であるからです」(TR 新約聖書)
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- 「私は福音を恥としません。
福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です」(新改訳 2017) - 「わたしは福音を恥としない。
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです」(聖書協会 新共同訳)
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★第一コリント9・18
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- 「福音を伝える際、キリストの福音を無償で与えて、福音における私の権利を十分に用いないようにすることです」(TR 新約聖書)
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- 「それは、福音を宣べ伝えるときに無報酬で福音を提供し、福音宣教によって得る自分の権利を用いない、ということです」(新改訳 2017)
- 「それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです」(聖書協会 新共同訳)
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上記の二つのいずれの場合も、「キリストの」が『削除』されています。
「福音」すなわち「良い知らせ」だけであれば、どの宗教にとっても自分たちの主張する「福音」として当てはめることが可能です。
しかし、それらは「救いに至らせる神の御力」には、なり得ません。
唯一キリストの福音だけが、その御力なのです。
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