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聖書のホームページ >サタン傘下の改ざん聖書 > |
2025年 クリスチャン女性が見た幻
私は地獄でローマ教皇Fと
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★このページは、彼女が見た幻の『場面1』の一部抜粋です。 全文と『場面2』は→『クリスチャンへの警告 第23集』第三部 をお読みください。 |
《目次》
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《この体験について》 私は最近、地獄でローマ教皇を見た別の女性カトリック教徒の証しの動画を見ました。 彼女が勇気を出して体験を発信したことに、私は心から感銘を受けました。 私は、自分も教皇Fについての同様の啓示を受けたことを人々と分かち合いたいと思ったのです。 ![]() (→拡大) この体験について奇妙な気持ちになったのは、教皇Fがまだ地上で生きていたにもかかわらず、私の幻の中にいたからです。 その教皇が地獄でカトリック教会の秘密について私に教えてくれたのです。 目が覚めた後、私はこのことを分かち合うのは、とても奇妙に感じました。 なぜなら、だれも私の話を信じないだろうとわかっていたからです。 まだ死んでいない人を、どうやって地獄で見ることができるのでしょうか? こんなメッセージをだれが信じるでしょうか? だから、恥ずかしい思いをしないように、私はこの体験を私と私の夫の二人だけにとどめていたのです。 プライベートなメッセージとしてとどめていましたが、私は、そのことを主が喜んでおられないと、よくわかっていました。 私はその気持ちを自分の中で感じていました。 あのカトリック教徒の女性の証しを見るまで、私はこの体験を発信する勇気のために祈り続けていました。 私は神に使われる一人の器にすぎません。 この幻には二つの場面があったことを、お伝えしたいと思います。 |
●場面1
(中略) …前に歩いて行くと、本の売店があるのに気付きました。 それは私から遠くない所にありました。 その売店は古い木でできていて、その後ろに一人の男性がいました。 その売店の台の上に、『聖書』(The Holy Bible)と書かれた大きな看板がありました。 私はそれを見て、少し希望がわいてきました。 私は、もしかしたら、神について話したり、聖書を配ったりするために、だれかがそこにいるのかもしれないと思いました。 私は歩いてその売店に近づき始めましたが、さらに近づくと、その後ろに座っている男性に気付きました。 私はすぐに、彼がだれだかわかりました。 それは教皇Fでした。 私は非常に混乱し、足取りが遅くなりました。 その場所全体が、どこかおかしいと私は感じていましたが、何がおかしいのか、まだわかりませんでした。 私はその売店に近づき、彼が売っている本に目を向けました。 一見、それらは本物の聖書のように見えました。 表紙は神聖で立派そうに見えました。 そして私は彼に、私の旅路の助けのために、その聖書の一冊が必要であることを話しました。 私はそれらの聖書の一冊を買うためにお金を取り出しました。 ところが、彼は棚に並べられている聖書の一冊を私に渡す代わりに、聖書のように見える一冊の奇妙な本を持ってきました。 そして私がまさにその本に触れようとした時、私に告げる御声が聞こえました。
その本は、まだ教皇が手に持っていましたが、その本に何が書かれているか、私はわかりました。 その中身のことばは、歪(ゆが)められていて、見知らぬ言語で書かれていました。 けれども、その幻の中で、私はその言語を読むことができました。 それは神のことばではありませんでした。 それは聖書のように見えましたが、うそと欺瞞に満ちていました。 それは、邪悪なものであり、聖なるもののように装っていました。 そして私がそれを読めばよむほど、私の内側で気分が悪くなっていくのを感じました。 その本の数々の語は、神のことばではありませんでした。 それらの語は改ざんされており、歪(ゆが)められていました。 その本は人々を欺くために作られていました。 見た目は良いものでしたが、うそだらけでした。 それは、「クリスチャンとして若い(幼い・未熟な)人々や、生ぬるいクリスチャンたち、霊を識別して試すことのできない人々をだますものであり、わなである」ということを、私の心の奥深くで強く感じ取ることができました。 私は心の内で恐怖と悲しみを抱きながら教皇を見つめました。 私は彼にこう尋ねました。
彼は怒っているようには見えませんでした。 彼は、疲れ果てた、空虚な表情でした。 それから彼は、低い、かすれた声でこう言いました。
そのことばを聞いて、私の心は失望しました。 私は、まるで、あたり全体が暗くなったように感じました。 そして彼は、こう付け加えました。
彼は、まるで自分の時がほぼ終わろうとしているのを自覚している人のように、もはや望みが全くない人のように、そう言いました。 そう言ってから、教皇は懇願するような目で私を見つめました。 そして彼は、ふたたびその本を手に取り、私のほうに差し出しました。 彼は私にそれを受け取るよう懇願しました。 この時は、彼はそれを私に売るつもりではありませんでした。 彼は声を震わせ、こう言いました。
何か目に見えないものが、その本を受け取らせようと私を駆り立てるような、周囲からの圧力を私は感じました。 その圧力は強力で、まるで手が私の心を引っ張ろうとしているかのようでした。 しかし、私の心の内で、この本は神からのものではないとわかりました。 私は、これはわなだとわかりました。 私はそこに立ったまま、その本に触れようとはしませんでした。 私は、邪悪なものであると知っているものを受け入れることができなかったのです。 私は、あの御声が私に告げることに注意を払いました。 あの圧力は重くて強力でしたが、私は抵抗しました。 私は毅然とした態度で首を横に降りました。 私はその本を受け取ることを拒否しました。 私は周囲で悪が強くなるのを感じました。 そして、好奇心の悪霊が私に取り憑こうとしているのを感じました。 ある時点で、私は、「この本を取って中身をもっと知りたい」と感じたのです。 しかし、あの御声は、その好奇心の悪霊に屈してはならないと私に告げました。 このことで私はわかったのです。 すなわち、いつも「耳をくすぐってもらう」(第二テモテ4・3)ことばかり求める好奇心旺盛なクリスチャンたちこそが、このわなに陥ることになる、ということです。 その瞬間、私はイエス様を呼び求めなければならないとわかりました。 私は口を開き、イエス様の御名を称え始めました。 初めは、ささやくように、「イエス様!」と穏やかに言いました。 けれども、それから私はもっと大きな声で、こう言いました。
私が彼の御名を称えるたびに、まるで周囲の重苦しい暗闇を一つの光が突き破っているかのように感じました。 私は力の限りに彼の御名を叫び、私の持っているすべてのものをもって彼にしがみつきました。 私がイエス様を呼ばわれば呼ばわるほど、周囲の悪が弱くなっていきました。 何かが起きていました。 何か力強いことが、です。 私がイエス様の御名を叫び続けていた時、教皇の顔が変わりました。 まるで、彼がかぶっていた仮面が、はがれたかのようでした。 彼のプライドは消えていました。 彼の力は失われていました。 突然、彼は手から、その邪悪な本を落としました。… |
●場面2
(場面1の全文および場面2は『クリスチャンへの警告 第23集』第三部 《私は地獄でローマ教皇Fと教皇たちを見た!》 をお読みください) |
《目が覚めてから》 突然、私は目が覚めました。 私の心臓は激しく脈打っており、全身が震えていました。 私の体は汗でびっしょりでした。… そのメッセージは、私だけに向けられたものではありませんでした。 そのメッセージは、すべての人に向けられたものでした。 私は、主が私に与えてくださったこのメッセージを伝えることによって、私の役割を果たしていると知っています。 私たちはイエス様だけを求めなければなりません。 彼、すなわちイエス様こそが唯一の道であり、唯一の真理であり、この暗い世界で私たちを道案内することのできる唯一の光であられます。 私たちの周囲のいたるところで、大きな欺瞞が起きていることを、私は心の奥で感じ取ることができました。 道に迷ってしまい、正しそうに見えても本当は間違っているものに付き従ってしまうのは、簡単なことなのです。 だからこそ私たちは、識別すること、真実のものと偽りのものとを区別する力が必要なのです。 特に今、私たちは目を覚まして用心深くある必要があります。 真実を選び取る時は、今です。 まだ時間がある間、私たちは待っていてはいけません。 真理はイエス様の内にあります。 私たちは手遅れになる前に、イエス様をしっかりつかまなければなりません。 耳のある人々は、耳を傾けて、このことについて祈りましょう。 |
神は、このクリスチャン女性への啓示を通して、すべてのキリスト教徒に多くのことを教えておられます。 場面1で、彼女が、「なぜ、聖書の代わりに、この邪悪な本を売っているのですか?」 と尋ねると、教皇は、こう答えました。
すなわち、教皇Fは、
(ここでは事実1、2を紹介します。事実3については→『クリスチャンへの警告 第23集』第三部 をお読みください) |
教皇Fのたましいは悪魔のものでした! 1958年にフリーメーソンのヨハネ23世がカトリック教会の教皇となって以降、カトリック教会は一変し、現在に至るまでバチカンではルシファー礼拝が行われています。 彼らはルシファーに呼びかけており、キリストをルシファーの息子としています。 つまり、彼らはルシファー(サタン・悪魔)をキリストの父として礼拝しています! 教皇Fもフリーメーソンであり、ルシファー礼拝をしてきました。 高位のフリーメーソンたちはみな、サタンへの献身者たちです。 |
教皇Fは「邪悪な本」(偽聖書・改ざん聖書)を広めるようサタンから命じられていました!
教皇Fもフリーメーソンとして、フリーメーソンの最高指導者に完全服従しなければなりません。 1962年以降のカトリック教会は、フリーメーソン最高指導者の『33の指令』に従って、その実現に向けて活動しています。 その重要な指令の一つは、「新たな数々の聖書を書き続けよ」というものでした。 そうして20世紀後半以降に登場したのが、『サタンが命じて作らせた偽聖書』、サタンの是認する『サタン好みの聖書』です。 すなわち、『現代版聖書』であり、具体的には、英語のNIVや、日本語の『共同訳聖書』『新改訳聖書』などです。 カトリック教会がその指令に従ってこれらの「邪悪な本」(偽聖書・改ざん聖書)を広めてきた実態は、HP《カトリック傘下の改ざん聖書》から明らかです。 これらの現代版聖書はどれも、カトリック教会の傘下にあります。 したがって、サタンの傘下にあります! 一方、このサタンの傘下にないのは、マソラ本文/TR本文に基づく聖書です。 具体的には、英語のKJ版聖書や、日本語のTR新約聖書です。
《事実1》と《事実2》から明らかなように、「聖書の代わりに、この邪悪な本」を売ってきたことについて、教皇Fが次のように告白したのは本当のことなのです。
この女性の幻で、教皇は本の売店に、『聖書』(The Holy Bible)と書かれた大きな看板を出していました。 売られていたのは、「本物の聖書のように」見え、「表紙は神聖で立派そうに」見える本(偽聖書)でした。 彼女に差し出されたのは、「聖書のように見える」一冊の邪悪な本でした。 この幻で神は御声で彼女に、こう語られました。
その本(偽聖書)は、こういうものでした。 その中身のことばは、歪(ゆが)められていて、見知らぬ言語で書かれていました。 けれども、その幻の中で、私はその言語を読むことができました。 それは神のことばではありませんでした。 1 その中身は、「歪められていることば」でした。 2 それは、「本当の神のことば」ではありませんでした。 3 それは聖書のように見えましたが、「うそと欺瞞に満ちて」いる本でした。 4 それは、「邪悪な」本であり、「聖なる本物の聖書のように装って」いる本でした。 5 そこに書かれている語は、「改ざんされており、歪められて」いました。 6 その本は、「人々を欺くために」作られていました。 7 その本は、見た目は良いものでしたが、うそだらけでした。 8 それは、「クリスチャンとして若い(幼い・未熟な)人々や、生ぬるいクリスチャンたち、霊を識別して試すことのできない人々をだますものであり、わな」でした。
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このクリスチャン女性は、こう述べています。
『現代版聖書』は「神からのものではない」のです! 『現代版聖書』は「サタンからのもの」なのです! |
この幻で、彼女がその本に触れようとした時、神の御声は彼女にこう告げました。
神は、ご自身の聖徒たちに対し、その「邪悪な本」、すなわち、『サタンが命じて作らせた偽聖書』である現代版聖書(偽聖書・改ざん聖書)について、 「決してその本に触れてはいけません!」と警告しておられるのです! つまり、こう警告しておられるのです。
なぜなら、『現代版聖書』(偽聖書・改ざん聖書)は、
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『現代版聖書』を読む人々は、こう思っているかもしれません。 本当に、そうでしょうか? ●Q1「私は毎日"聖書"を読んでいます。私は何十年も"聖書"を読んでいます」 ●Q2「私は"聖書"をよく知っています」 ●Q3「私はだまされてはいません」 残念ながら、これらは勘違いであり、錯覚です! ![]() すでに見てきた通り、彼らが"聖書"だと思って長年読んできた『現代版聖書』は、神の目には、次のように映っています。
このクリスチャン女性は、賢明にも、「注意しなさい! 決してその本(偽聖書)に触れてはいけません!」と彼女に告げる御声に聞き従い、その『邪悪な本』を退けました。 神の聖徒たちは、『邪悪な本』と決別し、神の備えられた『本当の聖書』に親しみつつ、天国を目指して汚れなき道を歩もうではないでしょうか。 |
★このページは、彼女が見た幻の『場面1』の一部抜粋です。 全文と『場面2』は→『クリスチャンへの警告 第23集』第三部 をお読みください。 |
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